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2012年5月14日 (月)

『復員殺人事件』他/坂口安吾

『復員殺人事件』が読みたかったので、図書館でちくま文庫版『坂口安吾全集11』を借りてきました。

『不連続殺人事件』他、『安吾捕物帖』以外の探偵小説がほぼ全部収められているようです。『不連続』にはちゃんと安吾の懸賞「附記」がついてるし、最初からこれを借りればよかったんじゃ(笑)。

でも『風博士』『アンゴウ』未収録だし、安吾の探偵モノを何か1冊、という場合はやっぱり創元文庫版の方がいいかなぁ。ちくま版は絶版で買うのは無理みたいだし。

しかし分厚いです。

P1030574s

創元文庫も大概分厚かったけど、さらに分厚いちくま版。文庫だけど持ち歩く気になれません。家で読んでても持ちにくいわ……。

カバーデザインは横尾忠則さん。格好いい。

P1030575s

で、楽しみだった『復員殺人事件』。うーん……なんか、あんまり面白くなかった。犯人当て懸賞金付き第2弾!ということで連載を始めたものの、掲載誌が廃刊になって安吾本人は解決篇を書かずじまい。推理作家の高木彬光氏が『樹のごときもの歩く』と改題して書き継ぎ、懸賞も継続した、と。

『樹のごときもの歩く』というのは、安吾が書いた前半で謎解きのキーワードっぽく出て来た言葉で、高木氏はちゃんとその「意味」を解決篇で示してくれるんだけど。

「えーーーーーっ、そんな話なのーーーーーっ」

って感じ。

後ろについてる「解題」によると安吾が考えていた犯人と高木氏が提示した犯人はちょっと違うらしい。書き始めてしまってから安吾夫人に「夫はこんなふうに言っていた」と構想を聞いた高木氏、涙目だったとかなんとか。

もし安吾が最後まで書いてたら後半どういう展開になっていたのか……安吾が書いていても「えーっ、それはちょっと」という展開だったのかなぁ、どうだろう。『不連続殺人事件』もけっこう「何のこっちゃ」な解決篇だったもんなぁ。

裕福な家の次男坊安彦がミイラ男のような状態で復員してきて、出征前の手形と今の手形を持って「同一人かどうか鑑定してください」と弟の定夫&妹の美津子が巨勢博士のもとを訪れる。

たまたま巨勢博士のところにやってきた作家の矢代氏も一緒に事件に関わることになり、『不連続殺人事件』と同じように「語り手=矢代、探偵=巨勢博士」で話が進む。

『不連続』の時と同じように、巨勢博士は最後にならないと推理を披露してくれなくて、犯人を追い詰めるとか対決するとかはない。まぁ、懸賞小説だし、「犯人はわかっているけど決め手がない」とか「探偵vs犯人」という構図にはならない。

戦時中、昭和17年に安彦の兄とその子どもが不審死を遂げていて、安彦は「その犯人を知っている」と言わんばかりの思わせぶりな言葉を残して出征していた。

それが「樹のごときものの歩くが見ゆ」という聖書(マルコ伝)の一節。

聖書出てくるし、足の裏にタツノオトシゴの彫り物をする「龍教」という怪しい宗教も出てくるし、不審死した長男の嫁の由子は義理の弟達だけでなく義理の父親ともデキてる。

舞台設定だけでお腹いっぱいになりそうです。

ほんまにそんな一家あるの?嘘くさすぎない?って思うんだけど、解説には「戦後のある時期の精神状態と切っても切れない関係があるのかもしれない」「安吾の探偵小説が文字どおり時代の渦中に立って書かれていることは明らかであり(中略)だからこそ猥雑にして生気あふれた人物が生まれ出た」というふうに書いてある。

『不連続』は昭和22年、『復員』は昭和24年に書き始められた作品。まだまだ戦後の焼け跡も生々しい時代だったんだろう。そして日本人は今よりずっとエネルギッシュだったんだろうな。

少年犯罪なんかも実は昔の方がよっぽど多かったとか、凶悪だったとか、色々言われる。今日の米にも事欠き、それまでの秩序が大転換してしまった混乱期、人々がギラギラガツガツしていて不思議じゃない。

財産のために肉親を皆殺し、っていうのも今考えるほど無茶苦茶なことじゃないのかも。

まぁ、安吾も、そして高木氏も、犯人がそれをなすに至った心理の綾についてはほとんど筆を割いてくれていない。『安吾捕物帖』の時も思ったけど、人が罪を犯す時にその動機を「きっちりわかりやすく説明できる」なんて方が「嘘くさい」んだろうな。

でもやっぱり『復員』の結末はなんか釈然としない……。

『投手殺人事件』、これも犯人当て懸賞付きだったそうな。なんと「10万円大懸賞犯人さがし」!昭和25年の10万円ってごっつい大金じゃないですか?もちろん今でも犯人当てて10万円もらえるとかウハウハすぎるけど。

面白かったしトリックも納得できるけど、やっぱり殺人の動機が……。そりゃ300万は大金だけどもねぇ。

『屋根裏の犯人』はなんだか落語のような味わいのお話。と思ったら「西鶴名作選」という特集で発表された作品だそう。なるほど。

『UN-GO因果論』の中の「日本人街の殺人」が下敷きにしているという『南京虫殺人事件』

これはめっちゃ好みでした!名前すら出てこない「令嬢」、魅力的~~~♪ 「日本人街の殺人」とはずいぶん印象の違う話だけど、まぁそれを言ったら『復員』と『因果論』もぜーんぜん違う話で、『因果論』でいい子すぎた倉田由子、『復員』では家族全員と関係持ってるすごい嫁(笑)。

しかし女性用の腕時計を「南京虫」と呼ぶそのセンスってどーなの、昔の日本人…。

『山の神殺人事件』。途中まで面白かったけど最後があっけなかった。もうひとひねりあるのかと思った。

「正午の殺人」。おそらく出始めたばかりだろうテープレコーダーを利用したトリック(昭和28年の作品)。ふむふむ、なるほど。

巨勢博士が「真犯人を見つけることと、本当に女に惚れることとは、同じようなものらしいぜ」と言ってますがそうなんですか? 「夢中になる」ってことなの??? 

「影のない犯人」。これは面白い。誰が犯人なのかわからない。

「誰が犯人でもかまわないような変テコリンに無関心な時世が到来したらしいのである。戦争という大殺人の近づく気配が身にせまっているせいかも知れない。シリメツレツは今や全ての物についてそうであるのかも知れない」

安吾らしいですよねー(って、推理物以外読んでないけど)。

『能面の秘密』。『心霊殺人事件』で活躍した奇術師伊勢崎九太夫が探偵役。最初に「これは自殺じゃない」とピンと来て取材しだした新聞記者がそのまま探偵として事件を解決するのかと思ったら、最後で九太夫がおいしいところを持って行く。

と言っても厳密には「解決」しない。「推理」だけで「証拠」がなく、犯人は法の裁きは受けない。けれど結局破滅していく。

謎解きゲーム性重視の長編よりも短編の方がやっぱり好みです、安吾。

2012年5月 4日 (金)

『トーニオ・クレーガー』/トーマス・マン

2011年2月27日に毎日新聞にこの本の書評が載っていて、近所の本屋に行ったら珍しくあったので買い、そのまま「積ん読」すること1年以上(笑)。

やっと読みました。

読み始めたらいきなり『ドン・カルロス』の話題が出て来て、「そーか、宝塚で『ドン・カルロス』を見てから読めという本の女神の思し召しだったか」と感激。

別に『ドン・カルロス』の内容を知らなくても大丈夫な程度の言及しかなされてないんですが、しかし内容を知っているのといないのとではやはり胸に迫るものが違う。

まぁ、作中で言及されているシラーの『ドン・カルロス』と宝塚版はかなり違うらしく、もちろんシラーの方なんか読んじゃいないのですけども。

でもそーゆー「タイミング」って、本読んでるとしょっちゅうあるんですよ。「今読んで良かった」「こっちを後で読んで良かった」みたいなのが。

読書の醍醐味の一つです。

トーマス・マンの『トニオ・クレーゲル』。例によって例のごとく、タイトルだけは知っているものの読んだことはありませんでした。それが新訳で出て、書評でもなかなか良いように書いてあったので(毎日新聞サイト上からはもう消えてた、残念)手に取ったわけです。

タイトルが『トーニオ・クレーガー』となっているのは、この方がドイツ語本来の発音に近く、トーマス・マン本人も自作の朗読においてそのように発音していたからだそう。

「世界中で愛された永遠の青春小説」と帯に銘打ってあるとおり、14歳のトーニオの描写から始まる。

これがとてもくすぐったい。

詩を書くような男の子、母が南方の出身であることで、外見も少し周囲の子達とは違う男の子。「自分は他の子とは違っている」という意識。恥ずかしく寂しい気持ちと、でもある種の自負と。

金髪碧眼の美しい少年ハンスに心惹かれ、彼との「親しい間柄」を切望するトーニオ。ハンスはトーニオを友達として遇してくれる。二人で散歩もしてくれる。でも他の子が寄ってくると、ハンスの興味はそちらに移る。二人きりの時は名前で呼んでくれるのに、他の子が近づいてきたとたん、「こんな変わり者と特別親しいわけじゃないんだぜ」とでも言うように、よそよそしく姓で呼ぶ。

そんな観察を、しっかりできてしまうトーニオ。

男の子って、こんなにグチャグチャ考えるもの?詩を書くような男の子だから???

橋本治さんの小説で「………」ばっかりで何も考えてない男の子出て来てびっくりしたけど、性別には関わりなくグチャグチャ考える子は考えるし、考えない子は考えないんでしょう。

『ドン・カルロス』に感激して、自分でも詩を書くような「言葉」に敏感な子どもは、いつも頭の中でグチャグチャと言葉を紡いでいる。

ハンスにも『ドン・カルロス』を勧めるトーニオ。別れ際、ハンスは健気にも「読んでみるよ」と言ってくれる。それだけでトーニオは幸せな気分になって、足取りも軽くなる。

ハンスと一緒に文学の話をしたいと思いながら、「でもハンスは詩なんか書いちゃダメだ、ぼくみたいになっちゃダメだ」と思ってる。憧れのハンスに自分の世界を理解してもらいたい気持ち。でもハンスはハンスのまま、自分とは違う「憧れの存在」でいてほしいと思う気持ち。

ああ、くすぐったいなぁ。

きっと、その言葉に反してハンスは『ドン・カルロス』を読まなかったろう。一応最初だけは読んでみるかもしれないけれど……。

美しい金髪のインゲに恋をする16歳のトーニオ。彼女もまた、彼とは違う世界の住人。

いつの日かぼくが有名になる日が来る、きっと来る。書いたものがみんな活字になる日が。そうしたら、インゲは感心するだろうか……。いや、ぜったいに感心なんかしないだろう。しないに決まっている。 (P41)

感心してくれそうな女の子は他にいて、でもトーニオは彼女よりもインゲに恋する。自分とは違う世界の住人だからこそ、インゲに憧れる。

やがてトーニオは故郷を離れる。自分の道を行きながら、時に迷いながら。

なろうと思えば何にでもなれる。だが、そう言いながらも、内心ではそのどれにもなれないことをよく知っていた…… (p44)

大人にならなければいけない時期、社会に出て行かなければならない時期。その、少し手前かな、そんなことを考えるのは。自分の可能性と若さに酔いながら、そのくせ不安で自信が持てない。無邪気に夢を見るには大人に近すぎて、すべて諦めてしまうには若すぎて。

けれどもトーニオは、詩を書く男の子だったトーニオは、その文学の才で世間に認められるようになる。

30歳そこそこになったトーニオは女友達リザヴェータを訪れて、芸術と生活との相克について長々と訴える。

そもそも優れた文体や様式、表現などの才というものは、人間的なものに対する冷ややかで気むずかしい関係、言うなれば一種の人間的な貧しさや荒廃が前提になっているんだから (p57)

そう、〈人生〉は精神や芸術に永遠に対立している――でもね、血なまぐさい偉大さや猛々しい美の幻として、つまり異常なものとしてぼくら異端者の前に姿を現しているわけじゃないんだよ。(中略)つまり、ごく普通であるという幸せに対するひそやかな、けれども身を焦がすような憧憬を知らない人間はとうてい芸術家とはいえないんだよ、リザヴェータ。 (P69)

リザヴェータも画家なんだけどね。

つまり彼女だって「芸術家」なんだけど、素敵なリザヴェータはトーニオの長広舌を聞き終わって、返事をしてあげる。

つまり、いまそこに座ってるあなたはね、なんのことはない、要するに〈普通の人〉だってこと。(中略)ほらね、ショックでしょ――やっぱり。だから、この判決にちょっと手心を加えてあげる。私にはそれができるから。あなたはね、違う道に迷いこんでしまったのよ、トーニオ・クレーガー。――迷子になった普通の人なのよ。 (p73)

いい女だなぁ、リザヴェータ。

芸術家を自認する人間にとって「普通だ」と言われるのは何より苦しいことだけれど、でも、たぶん、そうなんだろうなぁ。

このお話が「永遠の青春小説」と呼ばれるのはその辺の「自意識過剰」な感じ、自分は他人とは違う、特別だという自負と、それと背中合わせになった「世界に受け入れられない」という孤独が、「青春期の若者」に共通なことだからだろう。

つまり、「普通」だということ。

私はトーニオと同じで「文章を書く子ども」だったから、彼の「自分は異端者」だという感じはよくわかるし、「普通だ」と言われてショックを受けるのはわかりすぎるほどわかる(笑)。

だから、文学や芸術に傾倒しない子ども達もそんなふうに葛藤するというのが、ピンとこない。「自分の才能」に関してうぬぼれつつ劣等感を感じるというのは、どんな道を進んでもきっと同じだろうけど、「あっちの世界」の子ども達は何も考えていないように見えた。世界と自分との折り合いなんてこと、人生の意味や“死”について、考えているのは自分だけだろうと……。

それが「うぬぼれ」なんだけどね。

もう一度やり直して、君みたいにすくすくと成長していけたら。まっとうで、陽気で、素朴で、公正で、秩序正しく、神とも世の中とも折り合うことができたら。(中略)ものを識ることと創造すること、その苦しみと呪いから解き放たれて、この上なく幸せで平凡な人生を生きて、愛し、神を称えることができたら…。 (P120)

そういうことを、「みんな」考えるもんなんだろうか。もちろん誰だって「もし違う道を行っていたら」ということは考えるだろう。でも他の人達にとって「モノを書くことの呪い」と同種なことって何なのかしら。

その後トーニオは故郷の街や北の国を訪れ、そこでリザヴェータに「ぼくはこの世界を愛している」という手紙を書く。彼が旅に出る前に、故郷へ立ち寄るかどうか、「それよ、私が聞きたかったのは」というリザヴェータは本当に素敵。

私はまだまだトーニオのように「世界を愛している。明るく陽気で、生き生きとして幸せな、平凡な人たちを愛している」とは言えないなぁ。「世界」は愛しているけど、「人々」はよくわからない。

でもよく考えたらこの言葉、やっぱりトーニオは自分を「非凡だ」って思ってるんだよね(笑)。「平凡な人たち」って、失礼だよね(爆)。

ともあれ予想よりずっと面白かった、『トーニオ・クレーガー』。

本書にはもう1作『マーリオと魔術師』という作品が収められています。こちらは何か、とても緊張を強いられる、「何が起こるんだろう?」という不安な感じが強烈。

その「緊張感」、ひたひたと迫る不気味さはうまいなぁ、と思うけど、なんなんだかよくわからないお話ではあった。「ムッソリーニ政権下のイタリアが舞台」ということを知れば、「なるほどこれは比喩か」だけれども……。

催眠術を操る怪しい魔術師に手玉に取られる群衆、知らぬうちにその「空気」に呑まれて、自分の意志をなくしてしまう。

うーん、でも背景を知らずに読み進んだので、「何なの?何が起こるの?え、それで終わり?」って感じでした。

原書の美しい挿絵も魅力的な新訳本。これからトーマス・マンを読んでみようという方にはお勧めの版です。

2012年5月 2日 (水)

『スーパーヒーロー大戦』見てきました♪

※以下ネタバレあります!これからご覧になる方はご注意ください!!!

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仮面ライダーとスーパー戦隊が大集合する『スーパーヒーロー大戦』、見てまいりました。

CM見るたびつかさ君の髪型の変さを突っ込まずにはいられませんでしたが、大画面で見るといっそう「なんでこの髪型なの!?誰も何も言ってくれなかったの!?」とつかさ君が気の毒になります。

せっかくのディケイド復活なのに……。

髪型だけでなくアイラインもキツめで、ちょっと女の子っぽいんですよね、つかさ君。「大ショッカーの首領」らしい「悪ぶった」感じを出したいのか、それとも「大ショッカーの首領やってるなんてそもそも変だからそれを見た目でも表現している」のか、どっちなんだろう。

まぁそれはともかく。

オールライダーとオール戦隊が真っ向からぶつかってしまうというこの映画、予告を見ても公開記念のナビゲーション番組を見ても「きっとストーリーはテキトーなんだろうな」としか思えなかったのですが。

やっぱりテキトーでした(笑)。

いや、まぁ、一応筋は通っているといえば通っているんだけどね。原因がしょーもないというか、そんなまわりくどいことしなくてもオールライダーとオール戦隊が手を組めば最初っから……という気がやはり、ね。

海東くんがキレちゃうのも無理はない。

そう、この映画の主人公は実はディエンド海東くんとコーカイブルーのジョーくん。

二人のファンなら見に行って損はありません。っていうか、見に行かないともったいない。

生身で二人がやり合ってくれるのたまりませんよ~。ゴーカイガレオンでの二人の闘いは台本ではディエンドVSゴーカイブルーでやり合うことになってたらしいんだけど、金田監督が急遽本人達にやらせることにしたらしく。

いやー、監督素晴らしい。生身でなきゃ面白くないですよ、あれは。二人の顔が映らなきゃ!

「君にはできないとわかっていた。甘いな……でも、嫌いじゃない」(by海東大樹)

キャーキャー!(笑)

「教えたまえ」とかいう独特の言葉遣い、「僕が欲しいのはお宝だけさ」とうそぶきながらも実はいいとこある海東くん、やっぱ好きだぁ!!!

ゴーカイジャーもしっかりとは見てなかったもののジョーかっこいいな、と思ってたので出番多いの楽しかった。ただテレビシリーズ本編とは少しキャラクターが変わってる(熱すぎる)ようなので、テレビのジョーが好きな人は「こんなのジョーじゃない!」と思ってしまうかも。

テレビシリーズ最終盤と撮影がかぶっていたらしいので、ゴーカイキャストの皆さんは大変な中よくがんばったなぁ、と思います。ゴーカイ終わって寂しい方には少々キャラが違っても、ストーリーがテキトーでも、やっぱり嬉しい映画じゃないかな。

あと比奈ちゃんファン(笑)。

大好きな海東くんと大好きな比奈ちゃんが一緒に行動してくれる、大変私得な映画でした(爆)。

でもね。

全体としてはなんかタルいんだよね、進行が。海東くん、ジョー、もちろんマーベラスにつかさ君、弦太郎もゴーバスターズも映司くんも、さらに電ライナーまで出して、ある程度みんなに花を持たせなきゃいけないので、やはりこう、流れに無理が生じる感じ。

ライダーと戦隊がつぶし合ってる、正義のヒーローだった二人が悪い方の首領になってるってところがまず「無理」だし。

どうせ最後は手を組んで悪い方をたたきのめすんだろ、っていうのもまぁわかってるからなー。

てんこ盛りのはずなのにこう、今ひとつワクワク感が…ジェットコースター感がないのよね。

ライダー50人、戦隊173人(パンフレット参照。ちなみに大ショッカーの怪人は50体、大ザンギャックの方は47体)の大合戦シーンは確かに見応えあるし、悪天候で撮影が大変だったと知るとよけいに「よくこんなシーン撮ったな」って感嘆しますけど。下がぬかるんでるのわかるし。さぞやスーツがドロドロになったことだろうなぁ…。

襲い来るシャドームーンに対してBRACKが「やめろ!ノブヒコ!」って言うとことか、ウラタロスが戦闘中に戦隊の女の子ナンパしてるのとか、細かいところも面白かった。

バースチームもね~。出番少ないし、そもそも「中の人」は出なくて変身後しか出てこないんだけど、短いセリフのやりとりだけでも泣ける伊達さん&後藤ちゃんコンビ。

バースチームのスピンオフまぁだ~!?

海東くん大好きな私としては、ラスボスが海東くんなのがちょっと、微妙でした。海東くんがラスボスになる理由はわかるの。さんざん彼とジョーを振り回し傷つけたつかさ君&マーベラス。

「だが君は友情をもてあそんだ。僕にはそんなものはどうでもいいが、君も同じ痛みを味わいたまえ」

つまり「僕が裏切ると傷つくだろ、つかさ」って言ってるわけだけど(笑)。

大ショッカーと大ザンギャックがもともとやろうとしていたことが「お宝」であるというのもわかるし、海東くんが「敵」に回る、そのこと自体は納得できるんだけど、海東くんを何の躊躇も葛藤もなくドッカーンと吹き飛ばしてしまうゴーバスターズとフォーゼが。

許せないっ!!!

海東くんだってライダーなんだよ。そりゃ泥棒だけど、今回は闘いを止めようと奔走したあげくの「逆ギレ」なんだし、もうちょっと気遣いがあってもいいじゃん。

ってゆーか、つかさ君が「やめろ、海東!」って向かっていかなくちゃ、海東くんとつかさ君の対決にならなくちゃ、「君も傷つけ!」でキレた意味がない。「これを撃てば海東まで」とかつかさ君が葛藤してくれなくちゃねー。

自分達を正義と信じて疑わないあっけらかんとした弦ちゃん達に「これが俺たちの力だ!」ってドッカーンやられてズダボロな海東くん、可哀想すぎるやんけ。

許せないわっっっっっ!!!!!

宇宙空間(イトカワを越え、土星も越えていたと思う)で爆破されて無事地上に落ちてこられる海東くんもすごいけど。

ディエンドは生身で大気圏突入ができるほどすごいライダーだったんだね……。

最後、ズダボロの海東くんに手を貸そうとするつかさ君は髪型も普通、服装も普通に戻っている。いつの間に着替えたんだろうか。宇宙での闘いはパーマが取れるほど長い時間がかかったんだろうか。

良かったけどね、海東くんとつかさ君のツンデレなじゃれ合い。「俺が友情を感じたことがあるとしたらそれは…」「言うな!」 見てる方が赤面するわ(爆)。

そして。

鳴滝さんは結局何なのか。

依然正体不明ということはまだこの先ディケイド&鳴滝に出番(新しいお話)があるのか…!?

ディケイドって結局なんだかわからないまんまになっちゃってるよね。會川さんがそのまま脚本書いてたらどうなってたのかな……。

うーんとあとは……そうそう、大ショッカーにさすがにグリードはいないなぁ、つまんないなぁ、と思っていたんだけど。パンフレット見るとメズールがいたらしい。え、どこに? 全然気づかなかった!

映司くんが変身できてるんだしグリードも復活しておかしくないけど、できればウヴァさんに会いたかったです、はい。

映司くんと言えばディケイドではなくゴーカイジャーがオーズに変身。もうホントに何でもありですね。これもどっちかというと「ファイナルフォームライド!おおおオーズ!」の方が見たかった。「ちょっとくすぐったいぞ」

オーズはどんな形になっちゃうのかしら。(Yahoo!知恵袋で「どうなると思う?」と回答募集してるのがあったw→こちら)アンクちゃんになっちゃうとかいいよねー。りょん君呼んでこられないならグリード体アンクでもいいし。

それから。

パンフレットの『プロデューサー大戦』が面白かった。「こどもたちへ このページは、おとうさんおかあさんがよむページです」。つまり、読むと夢が壊れます(笑)。赤裸々な製作裏話。

いや、ほんと、よくまぁこんな無茶な映画作りましたね。

「お話」としては「何のこっちゃ!?」だけど――でも、嫌いじゃない。(海東くん風♪)

2012年4月29日 (日)

『ウは宇宙船のウ』/レイ・ブラッドベリ

だいぶ前に買って、読みかけたまま途中でずーっとほったらかしていました。

短編集なので時間が半端になった時に一つずつ気長に、と最初から思ってはいたけど、見事に一つのお話の途中でほったらかしてて、思い出すのに暇がかかった…。

ブラッドベリといえばもはやSFの古典だと思いますが、全然読んだことがなかった。一応SFマガジンに投稿なんかしていた人間とは思えないですね、はい。

『ウは宇宙船のウ』はブラッドベリ自身がジュブナイル向けに編んだ「グレイテスト・ヒッツ」で、「はしがき」にはこんなふうに書かれてあります。

ぼくがこの本を捧げるのは、“過去”に驚嘆し、“現在”を駆け抜け、ぼくらの“未来”に高遠な希望を持つ、あらゆる男の子たちである。 (P6)

どうやら私は自分が思っている以上に“女の子”だったらしく、全体を通してあまり面白いと思えなかった……。

10代の頃に読んでいればまた違ったのかもしれないけど、どんどんページを繰る、っていう感じではまったくなくて、ほったらかして平然として、実は「もう読み終わらなくてもいいや」ぐらいに思ってた。

最後のテニス・シューズの話なんかは本当にまったくわからない世界で、「なるほどね」とは思うけど、共感できないし「好き」とも思えない。

途中まで読んでいて「前半」を思い出すのに苦労した『霜と炎』。これが一番面白かった。たった8日間しかない寿命。8日のうちに成長し、結婚し、子を生み死んでいく。まるで虫か何かのような人生。

8日ではあまりにも短すぎる。では8年なら? 80年は十分に長いだろうか。

凝縮された8日間の人生。だらだらと後悔ばかりで過ぎた80年とではどちらが「満足」できるだろう。

8日の寿命を強いる過酷な星から脱出するため、若者シムは遠い山の頂きに輝く宇宙船を目指す。炎熱の昼と極寒の夜。活動できる時間は限られ、宇宙船にたどり着くまでに太陽熱で焼き殺されるか凍りついてしまうか。

誰もそんな「バカなこと」に挑戦したりしない。

8日の寿命をそれでも「脱出」への知的探求に使う「科学者」たちは他の者達から蔑まれ忌み嫌われている。ある程度のテレパシー能力、短い人生で子孫を残すための発達の早さはあっても、「科学」を進歩させるにはあまりにも短い人生。

「青春を無駄にするな」という周囲の忠告も聞かず、「もっと生きたい!」と宇宙船を目指すシム。

若者のそんな無謀さだけが世界を変えられる――そんな話なのかもしれない。

でも私はより以上に「寿命」というものを考えさせられてしまった。「人生の長さ」というものについて。

そういえばブラッドベリさんは91歳でご存命だとか……。ご長命羨ましい。

 

『ウは宇宙船のウ』はちょっと微妙だったけど、懲りずに長編もそのうち読んでみたい。子どもの頃見たドラマが印象的だった『火星年代記』とか、

タイトルが気になる『死ぬときはひとりぼっち』とか。

そのうち、ね。

2012年4月27日 (金)

『不連続殺人事件』他/坂口安吾

『明治開化 安吾捕物帖』を読了し、安吾の他の推理モノも読んでみたいな、と購入した『日本探偵小説全集 坂口安吾』。

『風博士』『不連続殺人事件』『アンゴウ』『明治開化 安吾捕物帖』全20編のうち9編、『選挙殺人事件』『心霊殺人事件』が収められています。

全754ページ+付録9ページ。文庫でありながら1,260円もするのですが、それもうなずけるボリューム。電車の中で読むために鞄に忍ばせるには少々重すぎる1冊です(笑)。

江戸川乱歩が絶賛し、『探偵作家クラブ賞』を受賞したという長編『不連続殺人事件』。この創元推理文庫の版だけ、安吾本人が連載時に付した「附記」が読めるということで、すでに『安吾捕物帖』は青空文庫で読んでいたにもかかわらずこの版を購入してみました。

うん、安吾の性格が見えて面白かったです、「附記」。『不連続殺人事件』は「日本小説」という雑誌に連載されたのですが、「犯人を当てた人には懸賞を出します」という賞金のかかった作品でした。しかも賞金は安吾の自腹。

この探偵小説には私が懸賞を出します。犯人を推定した最も優秀な答案に、この小説の解決篇の原稿料を呈上します。(中略)当らなければ、原稿料は差上げませんよ。たいがい、差上げずに、すむでしょう。 (P54)

一般の読者だけでなく江戸川乱歩他文人達にも名指しで挑戦しています。よっぽど自信があったんだねぇ。最終的に4人の方が「正解」で、部分的正解の方にまで賞金が渡されたそうな。完全正解1等の方には1万円。昭和23年というご時世を考えれば大層な金額だったのでは。

私はというと、途中で「あと何ページくらいだろ」と最後のページを確認する際うっかり犯人の名前を見てしまい。

犯人当てには参加できませんでした(笑)。

途中まででも全然わからなかったし、犯人の名前を知った後もいわゆる「トリック」めいた部分はさっぱりでした。探偵の素質ないなー。

何しろ登場人物が多い上にみんな癖がありすぎて誰が犯人でもおかしくないような怪しさ、誰が誰かを区別するのさえ大変。思わずメモ帳に名前を書き出して簡単な関係図を作ってしまったほど。そうやって一回まとめないと、ぱっと読んだだけでは登場人物が頭に入りません。

歌川家という人里離れた資産家の屋敷で次々と起こる殺人事件。当主歌川多門の息子、一馬は作家で、語り手の矢代も作家。矢代の妻京子は多門の元妾、一馬の前妻で女流作家の宇津木秋子は今は三宅というこれまた作家と連れ添い、一馬の腹違いの妹珠緒は奔放な性格で3人の男を手玉に取る。多門には隠し子がいてその加代子という娘は腹違いの兄である一馬に恋していて、一馬もまんざらではない。

加代子の唯一親しい友と言えるのが矢代の妻京子で、矢代夫妻は一馬に頼まれて歌川家を訪れるのだが、そこには一馬の現在の妻あやかの前夫土居光一など招かれざる客も多かった。

捏造された招待状、「どういうことだ、気味が悪い」と思う間もなく第一の殺人が起こって……。

閉鎖的な、「陸の孤島」のようなお屋敷。招待客・家族・使用人合わせて29人のうち、8人の人間が殺されることになる。招かれざる客の一人でもあった探偵巨勢博士が最後に謎を解くんだけど、なんだって犯人はわざわざ彼を招待したのかなぁ。「招かれざる客」が複数必要だった理由は明かされるけど、何も探偵呼ばなくてもいいのにね。警察しかいなかったのなら(もちろん最初の殺人以降警察は大いに捜査もし、警備もしている)まんまと計画をしおおせていただろうに。

まぁ探偵役がいて最後に「解答」を示してくれなければミステリーにならないし「懸賞」も出せないでしょうけれど。

語り手の矢代氏や、誰か他のお客さんが謎を解いてもよかったのに、「素人に解けるような謎ではあかん」のかなぁ。「挑戦状」をたたきつける以上、並々ならぬ力量を持った「探偵」でなければ見破れない、という。

「連載」をリアルタイムで読んでいたら「次は誰が犠牲に?」「あれ、あの人が犯人だと思ってたら殺されちゃったぞ」と毎号続きを楽しみにしたろうな、とは思うんだけど、まとめて読んでいくとなんか、微妙でした。

登場人物達のエログロ的性格が強すぎて、ミステリーの印象が薄い。

明かされた犯人に動機があるのはわかるし、おのおのの事件の経緯もちゃんと説明されて「なるほどね」ではあるけれど、「人は本当にこんなにもバッタバッタと人を殺してしまうものなのか」という。

『安吾捕物帖』の時も「トリックはそれでいいとして、動機は?」と思ったり、「事件を起こすに至った葛藤とかないの?」と思った。あちらは短編だから「え、それだけ?」みたいなところも「味」になって面白かったけど、こちらは長編。

事件のつじつまは合ってるけど何なのこの人達、っていう腑に落ちない感じが。

「犯人当て」の「懸賞小説」なんだし、「物語」というよりはゲームのイメージで書かれているんだろうけれど。

癖のある登場人物のその「癖」に関しては見事に描写されているわけだしなー。

消却法によると、まっさきに犯人でなくなってしまうような完全なアリバイをもつ人物が、実は犯人であるという、そこにトリックがあり、探偵小説の妙味があるのである。然し、従来の探偵小説の多くは、このトリックにムリをして、そこで人間性をゆがめ、不合理な行為や心理をムリヤリにデッチあげて、又、作者も読者も、探偵小説のトリックはそういうものだと鵜呑みにして疑っていないのだ。 (P289~P290)

ひとつ自分で、ケンランたる大殺人事件を展開させ、犯人の推定をフンキュウさせながら、人間的に完全に合理的な探偵小説を書いてみたいと思うようになっていた。 (P290)

と、懸賞当選の選後感想で安吾は言っている。

うーん、まぁ従来の探偵小説が「不合理な行為や心理でムリなトリックを」というのはわからなくもないし、『不連続殺人事件』のいちいちの殺人が「合理的」なのはそうかもしれないけど、そもそも「8人も殺そう」というところで全然不合理な心理という気が……。

この強烈な登場人物達が一堂に会してるだけでもこう、「ムリ」な感じがしてしまうんですけどね。はは。

映画にもなったそうで、なんと一馬役は瑳川哲朗さん。『大江戸捜査網』の井坂十蔵さんですよ! 語り手の矢代役は田村高廣さんだし、内田裕也さんも出てる。

安吾の奥さんである坂口三千代氏の一文が付録についているんだけど、「(映画は)推理の楽しさの時間がない。活字ならば半信半疑のところも映像だとはっきりしてしまう。だから「不連続殺人事件」の映画もそんな感じであった」と書かれています。

うんうん、その感じわかります。

松本清張氏が「文章そのものがトリックになっている」と『不連続殺人事件』を絶賛したそうだけど、安吾の独特の文体が醸し出す雰囲気、それ自体が「ミステリー」を構成する重要な要素だから、映像にするとずいぶん「見えすぎ」てしまうんだろうな。

でもどんな仕上がりなのかちょっと見てみたい、映画。

 

で、冒頭に載っている『風博士』。ほんの8ページほどの、ショートショートと言っていいような作品なんですが、これ、「探偵小説」なの? とても風変わりな、印象深い作品です。相手が禿頭だからって、鬘をひんむくのに失敗したからって、自分が死んじゃダメだよ……。

『アンゴウ』『安吾捕物帖』については省略。

『選挙殺人事件』には『不連続殺人事件』を見事に解き明かした巨勢博士が再登場。今回もすらすらっと謎を解いてくれます。「首なし死体」ということから私は「入れ替わり殺人」を予想したのですが、見事にはずれました(笑)。

「選挙」をそういうふうに使うか、っていう着想が面白かったです。

『心霊殺人事件』。これは私も犯人の当たりがつきました。相変わらず癖のある登場人物ばかりだけど、「ふむふむなるほど」というトリック。長編よりもこういう短編の方が好みだなぁ。

長編はちょっとくどすぎる(笑)。

『UN-GO 因果論』が下敷きにしているという『復員殺人事件』も読みたいのですが、青空文庫ではずーっと作業中、書籍は絶版状態。途中で掲載雑誌が廃刊になって安吾自身は結末を書くことなく終わり、高木彬光氏が書き継いだのだとか。うーん、その辺も実に興味深い。

読みたいなぁ。

図書館にあるかしらん。

2012年4月25日 (水)

『SPEC~天~』観てきた♪

※以下ネタバレあります!これからご覧になる方はご注意ください!!!

 

劇場版『SPEC~天~』観てきました♪

と言っても見たのは公開3日目の4月9日月曜日。もう2週間以上も前です。あまり早くネタバレするのも何なので、感想書くのをぐっと我慢しておりました。

そんな昔に1回見ただけなので、色々記憶違い等あると思います。どうぞご容赦を。

さて。

公開3日目にもかかわらずすでにパンフレットが売り切れていました。びっくり!

おそらく土日の二日間で売り切れちゃったんでしょうね。月曜にそんなにお客さんが多かったとも思えないし。事実私が見に行った時も夕方の中途半端な時間だったこともあって、ガラガラでしたから。

いくら田舎だからって入荷数少なすぎるだろ!って思ったけど、Twitterで公式さんが「全国的に品切れ」とかおっしゃってるので、田舎かどうかは関係ないかも(笑)。

一緒に行った息子ちゃんが「観る前・観た後にパンフ熟読」な人で「えーっ、ないの!?」と非常に残念がっていました。もちろん私も残念です。あんまり残念だったのでつい『SPEC/BoosterBook』買っちゃいましたよ。あー、もったいない(笑)。

キャスト&スタッフインタビュー、テレビシリーズの振り返り、スペシャルドラマ『SPEC~翔~』のゲスト北村一輝さん谷村美月さんのインタビューも読めて、買って損はなかったBoosterBookでしたが。

「詳しくは劇場版パンフレットで」って箇所がある~~~~~~! ひどい(涙)。

見に行った劇場では「パンフ売り切れ。入荷未定」ってなってたんだけど、今度スーパーヒーロー大戦見に行く時に再入荷してないかな。通販で売ってくれればいいのにな。しくしく。

監督さんやプロデューサーさんの想い、読みたいよぉ。うっうっ。せっかく公開後すぐに見に行ったっていうのに、グッズも売ってなかったし。

 

などといつまでも愚痴ってないで、映画本編の話に移りましょう、はい。

いきなりファティマ第3の予言です。

ノストラダムス世代としては「うわぁ、懐かしい」とか「いい加減使い古されたネタだな」とか思ってしまうのですが、改めて「第3の予言は何だったのか」「本当に教皇暗殺を指すものだったのか?」と言われるとやっぱり怖くなったりして。

2012年世界滅亡のマヤ予言とか、昨年の地震&原発事故もありますし……。

1999年をやっと乗り越えたっていうのにね。

人間って、「滅亡予言」が好きなのかな。心のどこかで、「自分達は滅びてもしかたがない」という後ろめたさがあるということなのかしら。

ファティマの予言の話の後、2014年の雅ちゃんが映る。野々村係長からの手紙を読んでいる雅ちゃん。「君がこれを読んでいるということは…」

そして、2012年の夏。

海上でのミイラ死体の発見。スペシャルドラマ『SPEC~翔~』の最後で北村一輝さん扮する吉川刑事がミイラ化して発見された、あれと同じ手口。

始まる、未詳とSPECホルダー達の闘い。

まぁ、口で説明しちゃうと面白くない世界ではあるよね、SPEC。ドラマの時もそうだったけど、本気なのか冗談なのか、随所にお笑いをちりばめつつ、「刑事魂」だったり、当麻と瀬文さんの絆だったり、シリアスなメッセージもちゃんとある。

「本気で冗談をやる」という姿勢が実に良い。

刑事モノでありながらかなりSFだったり、軽々とジャンルを飛び越えちゃってるところも。

ニノマエ君+浅野ゆう子+伊藤淳史の3人が未詳に宣戦布告するところもあまりにも「お笑い」で、「君たちそんなキャラでいいのか!?」とこっちが突っ込みたくなるほど。

栗山千明様も「アメリカ育ちで日本語が不自由」という設定。本人はシリアスなのにがくっと来るようにできている。

千明様、あの「変な日本語」しゃべるの、難しかったろうなぁ。自分は笑わずに「間違った日本語」を大まじめにしゃべらなきゃいけないって。

やたら「キルビル」言われてたし(笑)。

しかしまさか千明様が瀬文さんの元カノ役とは……。瀬文さん面食い!!! ってゆーか、変な女が好きなのか(笑)。

瀬文さんも37歳ということで元カノの一人や二人や三人ぐらいいても、それどころか元妻ぐらいいても不思議はないわけですが、当麻とのコンビが大好きな私としてはちょっとショックでした。もちろん当麻もショックだったみたい。

二人の年齢設定、BoosterBookで初めて知ったんだけど、瀬文さん37歳で当麻25歳。一回り違うんだねー。理想理想(え!?)。

37歳にしては瀬文さん、かなりガキっぽい感じするけど、熱血まっすぐな男の人って総じてあんな感じかな。悪く言えばガキっぽい。よく言えば「少年の心を持っている」(笑)。

「テレビシリーズとはずいぶんキャラが変わってて戸惑った」と加瀬さんはおっしゃっているけど、見ている方はそんなにも気にならなかったなぁ。テレビでも最終回なんてけっこうギャグっぽかったし。

まぁ最初の頃に比べると確かに「お笑い」度が高くなってるけど、当麻の方が「SPECホルダーとしての葛藤」でシリアス度が増してるから、そのバランスで瀬文さんがよりいじられてるのかも。

元々「お笑い」だったのが志村さんの一件でどーんと暗くシリアスになり、やっと以前の瀬文さんに戻ってきた、という見方もあるようです。

「キルビル」言われる千明様、フツーに「ゴリさん」と呼ばれる野々村係長待遇。『太陽にほえろ!』リアルタイム世代としては――そしてゴリさんも大好きだった人間としては、相変わらず素敵な刑事さんで嬉しい。

いやぁ、野々村さんは今回もホントにいい味。シリアスな場面での格好良さと来たら! 「心臓が息の根を止めるまで真実に向かってひた走れ」とか、その辺の人が言ったら陳腐なだけだと思うんだけど、ゴリさんが言うとずしっと来るんだなぁ。

予告CM等で流れてる当麻VS瀬文の屋上でのやりとりの後、ゴリさんが伝えるメッセージはすごくいいし、雅ちゃんに宛てた手紙の内容もじーんと来る。

かと思うとめちゃくちゃお茶目だし。うまいよねー、ほんと。

『翔』で「シンプルプラン阻止」に動いた野々村さん、ただの窓際じゃないどころか実は「あっち」の人だったらヤだな、とか思ってたけど、まだ「未詳」の人で良かった。

誰が味方で誰が敵なのか、それがわからないのが『SPEC』の面白さ。当麻に雑魚キャラ呼ばわりされる捜査一課の3人にも「実は!」があるのじゃないかとちょっと期待したんだけど、今回はまだ雑魚キャラのままでした(笑)。

でんでんさん扮する市柳さんが実は津田だ、っていうのは『翔』でも示唆されていたけど、本家本元の津田だったことが明らかになって。

「津田助広」の「助」は「助平の助」とか説明してはった(笑)。

本家津田は意外に熱血な人でした。

「とらえどころのない怪しい津田」が好きだったのにな。でもやっぱりあの人も「大勢いる津田の一人」なのかもしれないし、まだまだわからない。

それにつけても椎名桔平さんは格好いいですな♪ 好きだわ。

死んでいった「大勢の津田」の写真が椎名さんのコスプレ全集みたいになってて面白かった。

マダム陽(ヤン)のSPECが「フリーズドライ」っていうのもホントにね。世代だわ~~~~~。(若い人はご存じないでしょうが、「マダム楊(ヤン)」というインスタントラーメンがあったのですよ)

「SPECホルダー達の暴走で人類滅亡!?」みたいな予告になってたけど、暴走側は3人しか出てこなくて(もう一人、“雑魚キャラ”的に出て来た人はいたけど)、そこはちょっと寂しかった。浅野ゆう子+伊藤淳史のSPECだけで、そもそもニノマエ君のSPECだけで十分驚異的とはいえ、結局ニノマエ君が従えられたのはこの二人だけだったのかな、と。

煩雑になるから出て来なかっただけで、「組織」はあったのかもしれないけど。

本物のニノマエ君は死んでしまっていて、映画の方は(そして『翔』の方も)フェイクだったことになってる。ってことはフェイクを作り出せる「組織」があるということで、DNAがあればSPECホルダーをコピーできるというなら、それはもうなんか、やりたい放題の世界になっちゃうよね……。

『翔』で描かれた美鈴ちゃんの悲劇。SPECホルダーであるがゆえに、よけいなものが見えてしまうがゆえに、せっかく入った芸大をやめざるを得なくなり、そして――。この美鈴ちゃんの結末はブーイングだなぁ。お兄さんともども哀しすぎる兄妹。

SPECがあるがゆえの苦悩、葛藤というのは、今回の当麻の重要なテーマでもある。

『翔』で左腕を封印して、でも死者達が彼女の左腕を通して蘇ろうとあがく。SPECホルダーであるがゆえに「殺されてもしかたがない」とされる彼ら、その悲劇を理解できるがゆえに生まれる葛藤、迷いが、左手のSPECを制御不能にする。

もしもそれが人間の「進化」なら、その「進化」を阻もうとするのは間違っているのじゃないのか?

何が正しくて、何が間違っているのか。

「SPECなんか必要ない」、と瀬文さんは言う。(以下、すべてのセリフはうろ覚えで正確なものではありません)

亡者にのっとられた当麻に銃を向ける瀬文さん。「どうして俺がお前に出逢ったかわかった。お前は先に逝け。俺ももろもろ片付いたらすぐに逝く」

でも、やっぱり撃てない。乗っ取られた当麻の銃に傷つけられても、でも撃てない。

「どうして撃ち殺してくれなかったんですか?」

どうにか亡者の支配を脱した当麻が問う。

「俺にはお前は撃てない」

きゃー、もう瀬文さんったら!照れるぅぅぅぅぅぅぅ!!!

この屋上の対決シーンも、最後の病室での二人のやりとりも、すごいラブシーンなんだよね。

愛の告白。

病室での瀬文さんのセリフなんかもう、さ。たまんないよ。

「お前の抱えてる痛みはお前一人だけのものじゃない。俺も抱えて生きていく。SPECホルダーとしての人生を選ぼうが、凡人として生きようが、お前はお前だ。俺の中で、それは一生変わらない」

プロポーズだよね、ある意味。

二人の絆は、ただの男女の恋愛よりもっと深いと思ってるけど、でもやっぱり、どうしようもなく素敵なラブシーンだ。

それ言い終わって、一回心臓止まって、「瀬文さん!」と取りすがる当麻の息に「餃子くさい…」と生き返るところも、泣き笑いながら当麻が「ガチで一生巻き込んでやるからな」って言うところも。

TVシリーズの最終回の、病院のベッドで「頭ここです」って当麻が言うとこも大好きだった。いちゃいちゃ抱きつくだけがラブシーンじゃないんだよね。

しかし考えたら瀬文さん、よく生きてるよね。あの驚異的な打たれ強さ、不死身さはもはや立派なSPEC(笑)。

「進歩も進化も必要ない。大事なのは、“人の想い”だ」

うん、ホント、そう思う。

それが、監督はじめスタッフが伝えたいこの作品の一番のメッセージだろう。

瀬文さんのこの一言と、野々村さんが雅ちゃんに宛てた手紙の最後。

「生きろ」

何が正義か、何が悪か。

そんなことはわからない。ただ、それでも、あがきながら、もがきながら、人は生きる。生きていくしかない。

その先に待つものが、廃墟でしかないとしても。

オープニングでは2014年の雅ちゃんだったのが、エンディングでは2020年くらいになっていたらしい(私はちゃんと見てなかった。息子ちゃんによるとそうだったらしい。雅ちゃんは年取ってないように見えたけど)。

バックには、半分砂に埋もれた国会議事堂。スカイツリーが遠くで傾いている。

2012年9月初旬の未詳とニノマエ達の死闘のあと、どんなことが起こったのか。

栗山千明と瀬文さんの子どもでありながらそうじゃない謎の子ども潤(「王」が入った名前だわね)と、「世界」と名乗る謎の白服の男(どう見ても演じているのは向井理)。

この白服の男を見て、ニノマエ君が「黒ずくめ」であることにすごい意味があるんじゃないかという気がした。それは神と悪魔という対比なのかもしれないし、文字通りニノマエ君は「黒衣(くろこ)」なのかもしれない。

当麻の弟陽太でありながら記憶を捏造され、SPECホルダー「ニノマエ」として生きることを強いられた彼。世界を攪乱するために、何者かによって操られている存在。

フェイクな今回は「心を持たない」とされていた。強力なSPECを持ちながら、“想い”を持たないがゆえに敗れ去る彼。

果たしてその先は描かれるのか。「結」はあるのか。

「欠」だろう、って最後に出て来たけど。

その方が楽しいかもしれない。全部描いてしまわない方が。

ずっと夢を見ていられる。

テレビシリーズがあんなふうに「ええっ!?」っていう終わり方をして、でもその謎だらけなのが逆にとても良かった。好きだった。全部種明かししちゃったら面白くない。真実は一つじゃない。

だから『翔』は、描きすぎとも思ったんだけど。

天才的な頭脳が十分に当麻のSPECだと思ってたから、「左腕」はよけいとも思えた。

そう言いながら面白くて映画見る前にもう一回しっかりじっくり見ちゃった。

映画も、見てる時以上に、こうして振り返ってる方がじわじわ来る。色々思い出して、考えてるとどんどん面白くなってくる。

TVシリーズの、あの毎週を楽しみにするワクワク感、最後のたたみかける展開、どんでん返し。映画は2時間でいっぺんに全部見せちゃうから、「やっぱり一番はTVシリーズ」って思ったりもしたんだ、映画見終わった時は。

ええー、そこまで話おっきくなっちゃうんだ、っていうのもあったし。

「結」があったとして収拾がつくのか。まぁ、つかない方が面白いんだけどね。

「結」があったとしても全部描ききらないでほしい。ますますわからなくなってほしい。

それでこそ『SPEC』でしょ?

 

【2012/05/02追記】

『スーパーヒーロー大戦』見に行った際に無事パンフレットGetしましたーっ!!!

P1030534s

ああ嬉しい(笑)。

BoosterBookにもありましたが、劇場版パンフにもちゃんとテレビシリーズからのお話解説が載っていて。

全部知ってるのにまたちゃんと読んでしまう。

読むと「全部知ってる」のが嘘だったことがよくわかる(笑)。細かいところはまだまだ知らないことがある、恐るべし『SPEC』ワールド。

後ろに用語辞典もついていて、色々設定細かいですね、ホント。

キャストインタビューでは戸田恵梨香ちゃんが「当麻と瀬文はLOVEになってはいけない」と言っていて、それは確かにな、って思いました。

病室のシーン、「愛の告白だ」「ラブシーン」だって感想を書きましたけど、「男女の愛」だけが「愛」じゃないですし。当麻と瀬文がその、「男と女の仲」になっちゃったらやっぱりヤだなっていうのはすごくある。

何だろう、もっと、人間と人間としての絆というか、「兄と妹」みたいな感じなのかなぁ。大切な身内というか。ムカつくところもある、嫌いなところもある、困った奴だと思いながら、でも見捨てられない。だって「家族」だから、みたいな……。

加瀬さんは「真夏のロケが悲惨だった」みたいなことを淡々と飄々と述べてらして、なんかとても「らしい」。

「瀬文は“思い”を大事にする男」――うんうん、そうですよね。

堤監督のインタビューでは「瀬文には極端に肉体派であってほしい」と。それもわかる。理屈じゃないところ、特殊能力も文明の利器も頼らず、身一つで立ち向かっていくところ。

SPECホルダーになることが人間の「進化」なのか、SPECを持つ者と持たざる者との対立というのはちょっと、ガンダムの「ニュータイプ」とオールドタイプの話も思い出させる。

宇宙の広さに適応し、他者と直接「わかりあえる」ニュータイプの力。素晴らしい人類の変革・進化であるように見えて、「戦争の武器」としか考えられなかったり、「危険人物」として隔離されたり。

『ガンダムUC』では「人の心を勝手に覗くな!」と「自動的にわかりあう」ことを拒否する人間も描かれた。

「個」であることの意味。

個別の「肉体」に閉じ込められてあることの意味。

植田プロデューサーのお話ではもうすっかり『結』があることが前提になっていて。

いやー、楽しみですね、『SPEC~結~』。私としては「決」の字を使って欲しいです。決断の決、決着の決、決意の決。

もともと「決」は「堤防を切る」という意味の字らしく、そこで堤防を切って「何か」が溢れて、もちろんまだまだ話は終わらない、っていうの、すごいぴったりやん(笑)。

堤監督と茂木音楽プロデューサーの対談もすごく興味深かった。音楽もいいですもんねー、『SPEC』! メインテーマがピアノというのは堤監督のアイディアだそうで。『波のゆくさき』THE RiCEGOOKERSの起用も堤監督。

いやぁ、すごいな。映像だけでなくすべてにおいてセンスがいいのね、堤監督。羨ましい。



2012年4月22日 (日)

『黄金比はすべてを美しくするか?』/マリオ・リヴィオ

楽しい算数シリーズ第…3弾くらい?

文庫化されたので買ってみました。

「黄金比」……聞いたことはあるけど円周率ほどにはよく知らない(いや、円周率だってたいして知りませんが)。

線分ABを点Pで分ける時、APとBPの比がABとAP(分けられた線分の長い方)に等しい時、それを「黄金比」という。

合ってる?(←読んだのにわかってない) 詳しくはWikiで見てくださいね、はは。

えー、それでその比率φは1.06180339887…という無理数になって、円周率πと同じように延々と小数点以下が続く。

黄金比には色々と面白い性質があって、分母1がずーっと続く連分数が黄金比に対応するとかなんとか(←やっぱりわかってない)。

黄金比に対応する連分数は1だけで成り立っているので、とてもゆっくりと収束する。その意味で黄金比は、ほかのどんな無理数よりも分数で表すのが「難しい」――無理数のなかでも「一番無理」なのである。 (P138)

一番無理な無理数。

全然わかんないけど、なんかすごい。

前にも書いたと思うけど、そもそも「無理数」っていうのが不思議でたまらない。円周率なんてちゃんと「円」になってるのに、数字上はずーっと小数点以下が続いて「定まらない」みたいになってるのがもう。

現実に目にする円は「真円」じゃなくてどっか歪んでたりするからきっちりと数字が「終わる」のかな、とも思うんだけど、でもそういう話じゃないはずだよね、円周率。

φだって、線分は分けられているはずなのに…。計ると小数点以下が永遠に続いてしまう。

小数点以下が永遠に続くからといって「数値が不確定」というのとは違うんだろうけど、でもその、「永遠に続くが値としては確定している」という状況が理解できない。

(※あー、これって「無理数」に限らないんだっけ。3分の1は「有理数」だけど、小数にすると0.333……って永遠に3が続くんだよね。小数点以下がずっと続くことが「無理数」の定義じゃない…。うーむ)

ちょっとずつしか読めなかったこともあり、基礎的数学をかなり忘れてしまっていることもあり、付録の証明やら「???」のままのところも多く、頭に入らない部分もあったけど、フィボナッチ数列との関係とか、最後の「神は数学者なのか?」という章とか面白かった。

モナリザをはじめ色々な芸術作品に「黄金比が取り入れられている」という話に、著者が懐疑的なのも良かった。ダヴィンチは科学者でもあったから黄金比を「知ってて使った」ということも考えられるけど、「どこを測るか」を調整することでいくらでも黄金比を発見してしまえることを思えば、「すぐれた芸術作品にはすべて黄金比が用いられている」なんていうのはかなりの部分眉唾なんだろう。

この間の『頭がしびれるテレビ』では「ミロのヴィーナスにも黄金比!」と、既定の事実であるかのように言っていたし、有名なデザイナーさんか誰か(詳しい肩書きを覚えてない)が「黄金比なくして現代のデザインはありえません」みたいなことを言っていたけれど。

そもそも「黄金比を使うと美しくなる」は本当なのか。

この本の著者のマリオ・リヴィオさんは「美しい」という概念自体が曖昧なことを踏まえ、それについては留保している。

たとえば色々な長方形があった時に、「この中で一番美しいと思う長方形を選んでください」と言われて、果たしてみんながみんな「黄金方形(縦横の比が黄金比になっている長方形)」を選ぶのか。

実際たくさん長方形の載ったページがあるんだけど、私が選んだ(というかぱっと目についた)のは黄金方形よりももう少し縦横の差が大きいものでした。

黄金比φは1.618…で、「1.6」だとほぼ黄金比と見て差し支えないように思うけど、φが「一番無理な無理数」なのに比べ、「1.6」は10分の16、つまり5分の8という簡単な有理数。

比率「1.6」を美しく、心地よく感じるとして、それは「黄金比」を美しく感じていると言えるのかどうか。古代の美術品に「1.6」比率が出て来たとしても、それは意識的に「黄金比」を使ったと言っていいのか。意識的・無意識的を問わず、「それが美しいのは黄金比になっているからだ」と言っていいのか。

自然界に「黄金比」が顔を出すのは確かで、「神がそれを“美しい”と感じるからこそ自然は黄金比に満ちている」と言いたくなるのもわかるけど。

で、最後の「神は数学者なのか?」。黄金比に限らず、自然界の色々なことわりが「数学」で表せるのはなぜなのか。神が数学者だから?

この、「自然を説明するのに数学が有効すぎる」という謎に対してはおおむね二つの考え方があるらしい。一つは「修正プラトン主義」と呼ばれるもの。

この「修正プラトン主義」では、物理学の法則が数式で表せ、宇宙の構造がフラクタルであり、銀河が対数らせんの形をとる、などといったことは皆、数学が「宇宙の言語」だからであると主張する。 (P373)

一方、もう一つの考え方では、

数学は人間の脳の外には存在しない。われわれの知る数学は、人間の発明品にすぎず、宇宙のどこかほかの場所の知的文明は、まるっきり違う概念を生み出しているのかもしれないわけである。  (P378)

うん、どちらかというと、私も後者な感じ。時々SF小説に登場するように、人間とはまったく知覚の方法が違う知的生命体にはこの宇宙がまったく別のものとして認識されているかもしれないわけで、私たちが手にしている「数学」が宇宙をよく説明するからと言って、それだけが万能の尺度ではない、“神が「数学」を用いて世界を創造した”などとは言えないと思う。

リヴィオさんもこう述べている。

われわれの手にしている数学は、ある意味で宇宙の――人間が認識する宇宙の――言語と言える。どこか別の場所の知的文明は、その知覚のメカニズムがわれわれのものと大きく異なるのであれば、まったく違う規則の一群を考案している可能性がある。 (P388)

第8章「天空からタイルまで」のフラクタルの話、そして第9章「神は数学者なのか?」は大変興味深かった。

検索したらリヴィオさん、そのものずばり『神は数学者か?』という本を上梓してらっしゃる!

日本語訳のタイトルがそうなってるだけで、必ずしも内容は「それ」ではないのかもしれないけど、でも面白そう。ぜひ読んでみたい。単行本が出てまだ半年だから、文庫になるのはずうっと先でしょうね。図書館で借りよう。

あともう1冊、『なぜこの方程式は解けないか?』。

黄金比以上に内容が難しそうですが、これも挑戦してみたいな。

2012年4月12日 (木)

IS03な日々・その8(Instagram楽しい♪)

IS03を入手してかれこれ1年半。その間どんどん新しいスマホが発売され、Android2.2のままメジャーアップデートは来そうにないIS03はもはやいにしえの奈良の都の八重桜、になろうとしています。

TwitterのIS03タグでは先日のケータイアップデートで不具合頻発!という声も多く、とっとと機種変した方もきっと大勢いらっしゃるのでしょう。

が。

私のIS03ちゃんは特に目立った不具合もなく、毎日アラームにTwitterにOTTAVA聴取に、と大活躍してくれております。

もちろん電話やメールもちゃんとできますよ(笑)。

フリーズや再起動がめったにないのはたぶんほとんどアプリを入れてないからだと思うんですが、先頃珍しくアプリをインストールしました。

そう、Instagram

iPhone用アプリとして大人気だったものがついにAndroidにも登場!ということで、公開後6日間で500万ものダウンロードがあったとか。そのうちの1人がわたくしというわけです、はい。

いやー、なんかね、楽しいですよ、Instagram。無駄に写真を撮りたくなっちゃう(笑)。

使い方等はすでにたくさん記事が書かれているので省きますが、とにかく「写真がうまくなったような気がする」

正方形に切り取ってフィルターかけるだけで、なんか自分の写真の腕が急にupしたような錯覚に浸れるのです。

たとえばこれ。

Dsc_0401s

今年の滋賀は寒くてちっとも桜が咲かず、しかもこの日は曇天、枝ぶりだけは立派だけどプリントアウトするほどの写真じゃないよねぇ、というものが。

正方形に切り取ってフィルター(Lo-fi)かけるとあーら不思議、なんだかやけにアーティスティックじゃあーりませんか(爆)。

1s

庭の植木鉢の花も、こんなのが

Dsc_0419s

こんなふうに(フィルターはAmaro)。

2s

窓を叩く雨も加工すると面白い。(フィルターはInkwell)

3s

面白くってやたら写真撮ってたらIS03の電池がなくなるなくなる(笑)。

Instagramアプリ内からカメラ起動もできますが、私はまずSHARPカメラでテキトーにバチバチ撮って、後からInstagramを使っています。

フィルター加工に多少時間がかかるものの、Wi-Fi環境ならフィードの取得やUPはサクサク快適。自分の写真が「カッコよく見える」のも嬉しいですが、他の人の写真を眺めるのもなかなか楽しい。

ただの写真アプリでなく、Instagramは写真のSNSなので、気に入ったユーザーをフォローしたり、タグ等で見つけた素敵な写真に「いいね!」やコメントを付けたりできるのです。

自分の写真に「いいね!」がついてると無性に嬉しい。

日本だけじゃなく、外国の方にも見てもらえてるんだなぁと思うと、写真ってすごい、ネットってすごい、と改めて。

まぁ基本家に引きこもりな生活なのでそのうち撮るもんがなくなって(今も窓から空撮ってるのが多いし)飽きてくるのかもしれませんが、しばらくは遊んでると思います。

 
(ちなみにInstagramのアカウントはshowxyz7です。よろしくどうぞ☆)

2012年4月 9日 (月)

『双調平家物語』第9巻/橋本治~その2:信西あるいは学問の敗北

はい、続きです。信西の話です。

信西。出家前の名は高階通憲(たかしなのみちのり)。もともとは藤原通憲。父親を早くに亡くした信西は、高階の家の養子になったのですね。

信西の生家はもともと「学の家」だったらしく、父の藤原実兼という人は大変な秀才で、かの大江匡房に将来を嘱望される優秀な文章生だったそうな。

がしかし、「将来を嘱望される文章生」という言い方は実は「変」なのだ。

文章生とは、先の望めぬものであり、将来を望めぬ家の子がなるものだからである。それを知ればこそ、受領の息子達は、さっさと学を放棄する。「学の家」とはすなわち、不遇に埋もれることを甘受する家筋なのである。 (P124)

この時代の「出世」というのは全部「生まれた家」で決まっていますから、いい家に生まれた子はほんの15歳くらいでずいぶんな官位をもらってどんどん出世していきます。バカでも、たいして仕事ができなくても、そんなことはたぶんほとんど関係ありません。

バカで仕事ができない殿上人の代わりに実務をこなすのが下級貴族で、だからここに「学の必要」はあるけど、がんばって勉強して「能吏」というようなものになったとしても、一定以上の位には上れません。

だからさっさと受領の子ども達は学問ではなく「金儲け」に励むようになる。学問なんか修めたって、賢くたって、たいした見返りはないのです。

匡房の一生は、学を崇めながら、しかしその実は等閑にする、人の世の矛盾との戦いだった。 (P126)

なんというか、身につまされるお話です。子ども達に勉強しろ勉強しろと言いながら、少しでも「いい学校」に入れとその尻を叩きながら、その実親や世間が望んでいるのは何なのか。子どもが「学を修める」ことでは、たぶんないですよね。

「学を崇めながら、その実等閑にする」……これって日本の伝統なのかなぁ。よその国でもそうなのかしら。

大江匡房に将来を嘱望された学才の人、藤原実兼は28歳の若さで世を去ります。その遺児通憲(後の信西)はわずか7歳でした。

5歳で学の道に入り、父の血に恥じぬ秀才ぶりを早くも顕していた信西を引き取ったのは高階の男。

今の高階の一族は、財をもって仕える「受領の家」なのである。その嗣子が、学の知識によって人に賞められれば、鼻も高い。しかし、それまでのことである。学への精進と身の栄達は、高階の家で一つにはならない。そして、いかなる家でも、これは一つにはならない。 (P138)

「学の家」の嫡男ではなく「受領の家」の嫡男となった信西に、その「学才」を活かす道は開かれていませんでした。

信西は、「栄達」など望まない。彼が望むことは、彼の有する学才が明確に顕現されることだけなのである。しかし人の世は、それをこそ「栄達」と言う。「栄達」がなければ、その顕現は果たされない。信西に、その「栄達」はないのである。 (P148)

どんな素晴らしい才能を持っていたところで、しかるべき「家格」を持たない者はその才を発揮する場がない。せっかくの知識もアイディアも、政治の現場で生きることはなく、むなしく朽ちていくだけ。

鬱々としたであろう信西の胸の裡、わかる気がします。頭なんかよくても、学識なんかあっても、何の役に立つのでしょう。世の中を動かすのは、「学」ではない…。

そうして高階通憲は39歳で世を捨てるのです。「出家」して「家格」という檻から抜け出すことで、彼は自身の才を活かそうとした。「家格による序列」という「現世」の外に身を置くことで、かえって自由に「現世」に関わろうと。

出家者なればこそ、同じく出家して法皇となっていた鳥羽院のそばに親しく仕えるということも実現した。近衛帝崩御の折り、鳥羽院に「次の天皇を誰にするか」と相談されるほどの地位を手に入れた。

保元の乱で時の関白藤原忠通を制し、まんまと摂関家の威勢を殺ぐやり方は、まことあっぱれな「学才」でした。知略によって世の趨勢をひっくり返す。その「頭脳」によって実権を手にする。

その時、信西は52歳。

嫡男の俊憲は35歳で、父の血を受け継いで大変な「能吏」として活躍していました。殿上人にとって「能吏」などというものは侮蔑の対象でしかないようなものですが(きっと「おまえ何真面目に働いてんの?」「しょーがねーよなー、貧乏人は働くしかねーもんなー」というノリ)、自らは果たすことのかなわなかった「朝廷における学の顕現」を果たす俊憲は、信西にとって自慢の、理想の息子でした。

ところで。

52歳の信西に35歳の息子。

ええ、嫡男俊憲は信西17歳の子です。

16歳で養家である高階一族の娘を妻とした信西は17歳で嫡男を得、21歳ですでに5人の子持ちだったそうな。ひょえー、すごいなー、早いなー。

後白河帝の乳母であった朝子との間にも子どもをもうけていて、今Wiki見たら「生母不明」のところにも延々と子どもの名前が載っていましたが……事実なのかな。まぁあの時代って、途中で死んでしまう子どもも多かったろうし、「これぐらい普通」なんでしょうねぇ……。

えー、さてそれで。

力ある上皇もおらず、摂関家も権威を落とし、後白河帝は今様狂いの「暗愚の王」。実質信西が朝廷の「ナンバーワン」になったわけですが、残念、長くは続きません。

31歳の後白河帝は藤原信頼という25歳の男に入れあげ、なんだかんだ理屈をつけては彼を出世させます。必ず信西の息子達の昇進とセットにして。

周りの目には信西が「勝手気ままに息子を昇進させている」と映っていたでしょうが、信西自身は嫡男俊憲が「能吏」であることを誇りと思うような「学の男」。むしろ後白河帝が「勝手気ままに信頼を昇進させるために信西の息子達をダシに」していた。

信西は、人の徳も、性の善も悪も、人の内に潜む欲望も、深く顧みなかった。重んじらるべきは、ただ「法の正しさ」――人のすべては、その内に収まるものと把握していた。それこそが、信西の目指した「理想の達成」なのである。 (P159)

施政の代行者は法を求め、お主上は人をお求めになる。法は、求められた「人」を逐わんとして、かえってその人に背かれた。平治の乱とは、すなわちこれである。(中略)「法の正しさ」を言い立てる施政者がいて、人はまだ、「法」よりも「人」を求めることを真とした。 (P160)

実権を握ったと言っても、やはり信西は出家者だし、もとの生まれだって高くない。後白河帝あればこそ、帝の側近であればこそ、信西は力をふるうことができる。

でも帝は信西を――信西の求めるような「法による統治」など求めなかった。

保元の乱の2年後、後白河帝は譲位したいと言い出します。美福門院得子がそれをせっついていたこともありました。得子の猶子となっていた後白河帝の子、守仁王。その子に位を譲るために、後白河帝は「つなぎ役」として即位したものと得子は思っていた。

しかし。

お主上は、お主上であられることを煩わしく思し召されるようになった。美福門院の言とは別に、お主上はご自身で、御譲位をお選びになられたのである。 (P166)

お主上のお望みあられたことは「御譲位」ではなく、信西の息子達の昇進でもなく、さりげなく中に挟まれた、信頼の権中納言昇進であられたのである。 (P170)

「お主上なんてやってんのめんどくせー」及び、「もう交換条件に出せるものなくなっちゃったから御位差し出すわ。だから信頼昇進させてもいいでしょ。ね?」という。

後に、鎌倉の頼朝をして「日本国第一の大天狗」と嘆声せしめることとなる後白河院の人心攪乱のご手法は、既にこの時ご歴然とされていたのである。 (P210)

かくて後白河帝は後白河院となり、守仁親王が即位して二条天皇の世となります。

二条帝は15歳。後白河17歳の時の子どもであり、生母は彼を産んですぐに死去。美福門院の猶子となったこともあり、父である後白河帝とは疎遠に育ったらしい。そもそも後白河は子を慈しむような人でもありません。

二条帝の即位を機に、関白忠通は職を辞し、その座を嫡男基実に譲ります。15歳の天皇に、16歳の関白。何やらおままごとのような朝廷のトップ二人であるけれど、ともかく世は動いた。

そして忠通は嫡男基実を信頼の妹の婿にするのです。

後白河院のご寵愛深き男、御世にもっとも輝ける寵臣信頼の妹と若き関白との結婚。後白河院はもちろんその縁組を喜び、信頼とて摂関家との縁組を厭うはずがない。「まるで入内のそれのよう」と噂されるほどの列を従えて、信頼の妹は「関白の北の方」となった。

摂関家はやはり摂関家でした。信西がどう思っていようと、そこに「実質」があろうとなかろうと、世の人々はその「家格」をやはり特別のものと見ていました。

関白を無用の存在とするもの――それが信西である。信西が御世を牛耳る限り、関白家の存在理由はない。しかし、それを人が喜ぶのだろうか。(中略)人は、輝きを求める。輝ける幻。実質など求めない。人は、我が身のありようを肯定してくれる、「人の世の輝き」を求める。 (P223)

信西のような「力」を、人は求めない。

“人”はというか、“日本人”は、なのかなぁ。権威をくつがえさない。むしろ我が身の安泰を保証してくれる権威の健在を求める……。

しかし、信西は関知しない。縁組とは「私の営み」であり、信西の従うものは、ただ御世を貫く「法」ばかりだった。 (P226)

頼長も信西も、「世の中」を無視して「理想」を求め、そして「世の中」に敗れるんだなぁ。げにおそろしきは「世の中」であることよ。

「学」をもって、また「法」をもって世を治めようとした信西は早すぎたのでしょうか。もしかして日本では永遠に、彼のような人間は早すぎるんでしょうか。

人の世は、一体何によって治められるべきなのか。

「私の営み」として信西が関知しない間に、人々は勝手に縁を結び、それをこそ「政治」としていく。

いや、信西とて無視してばかりはいられませんでした。信西の息子達を婿に取りたい、という者もいるのです。

まずはかの源義朝が「三男是憲殿に我が娘を」と申し出る。

もちろん信西は義朝のような「戦バカ」が大嫌いなんだけど、都に知己の少ない義朝は信西を頼り、何かと妻との縁を言い立てる。

義朝の妻の一人由良姫(頼朝の生母で、大河では田中麗奈が演じています)の祖父は、なんと信西の父実兼の伯父にあたるのですよね。つまり信西の父と由良姫の父はえーっと……わかんないや(笑)。

ともかくも由良姫と信西の間には血縁があり、つまり信西と源頼朝も遠い親戚、ということ。

でもとにかく信西は義朝なんか嫌いだし、義朝が差し出そうという娘が「遊女宿を営む遊女」の腹から生まれた娘、と聞いて激昂。「そんなもん嫁にできるか!うちは学の家なんだぞっ!!!」

気持ちはわかります。

信西は、なによりも無能を悪む。無知を悪む。無知と無能を明らさまにしたまま、人の世に栄達を得る者が許せない――そう思う信西の前に、信頼がいた。 (P247)

信頼って、「大兵肥満の大男」だったらしいんですよね。その重さで馬が喘ぐほど、とかって出てくるんですけど、後白河の趣味よくわからない…。まぁ、ともかくも、人が人に求めるものは残念ながら「有能」や「知性」、「学」ではない、という。

無能な男達は衆を恃む。それを嘲笑って、秀でた男達は孤高を守る。その美意識の真を知って、しかし、三条東殿の御前を退出する信西は、初めて自身の孤立無援を思った。 (P248)

哀しいなぁ、信西……。

で。

信西の息子を婿に、と申し出たのはバカな関東武者義朝ばかりではありません。都の武者たる清盛も、縁組を申し込んできました。

信西の息子成憲(25歳)に8歳の娘を贈ろうと申し出る清盛。25歳に8歳?と驚くなかれ、その直後清盛は5歳の娘(後の建礼門院)と信頼の5歳の息子の縁組まで調えるのです。

25歳と8歳よりかは、5歳同士の方が「お似合い」の縁組ではありますが。

信頼のわずか5歳の息子を「婿に取る」ため、その布陣として清盛は、信西の息子との縁組を考えたのです。「策謀家」としての顔を顕しだす清盛。

「それをせんがため、彼奴(きゃつ)はあの縁組を持ち出したか」と、信西は成憲の一件を振り返った。信西が清盛の悪辣を賞したのは、そのためである。瀬戸内の海賊を退治した一介の武人は、真実都にふさわしい、「策謀の男」となっていた。 (P260)

清盛は「武将」ではないのです。関東武者の性格を歴然とさせる義朝とは違い、あくまで都の貴族の一員なのです。

清盛という「武の家」の者が成り上がったことは確かに「鎌倉幕府」を生む要因となったのかもしれませんが、しかし清盛が「武家政権」を目指していたのかといえばたぶんそうではない。結果的に都の貴族は「武者の成り上がり」を認めず排除したし、だからこそ頼朝も都ではなく鎌倉に幕府を開くことになる。

なかなか既存のシステム・権威を覆さないのが“日本”ですねぇ。

伊勢の平氏は、人に蔑まれる一族でしかなかった。にもかかわらず、父の忠盛は我が子を思った。自身の功を我が子の賞へ譲り代え、「故院の御落胤」である我が子を思った。その父に思われて、しかし清盛は、人に蔑まれる一族の子でしかなかった。清盛の苦難は、「伊勢の平氏の嫡男」でしかない我が身を、都人士に受け入れさせるそのことに尽きた。 (P293)

清盛は、武者であることを誇る武者ではなかった。我が朝に初の、「武者であることを恥じる武者」だった。 (P294)

都人士は、決して「武」を好まない。都に生まれ育った清盛は、そのことを知る都人士の一人だった。 (P294)

……大河ドラマがなんか迷走しているように見えるのは、この辺のズレもあるのかもしれませんね。義朝と清盛との対比は「東国の武士」と「都で貴族達の中に生きなければならない武士」との対比になると思うんだけど、大河は清盛の方も「やがて武士の世を開くもの」として描きたいから清盛の立ち位置が定まらなくて、「苦労人のしっかり者」と「中二病のぼんぼん」の対比にしか見えなくなってる……。

この先清盛が出世して朝廷で重きを置くようになってくればまた描き方も変わってくるのかもしれないけど……。

さて。

信西は後白河院を諫めようとして「安禄山絵巻」を調えます。しかし院はまるで意に介さず、安禄山によそえられた信頼の心ばかり騒がせることに。「策士、策に溺れる」の言葉通り、いらぬことをして信西は信頼に討たれるはめになるのです。

信西バカだなぁ。でもそんなことがなくても、信頼が実力行使に及ばなかったとしても、やっぱり信西は「世の中」という大勢には勝てなかったのでしょう。彼のやり方を理解し賞賛する味方がいない以上、どのみち彼の天下は長くは続かなかったのでは。

信頼は信西を「武力」で逐おうとします。信西に縁組を断られた義朝が信頼に接近していましたし、信頼は後白河院の寵を一身に受ける身、「何かと目障りな信西を潰して何が悪い」という勢い。

ただ一つ、信頼と彼に味方する源師仲にとって気になるのは平清盛の動向でした。いかな義朝といえど、清盛率いる平氏の武者と合戦ということになれば何かと面倒。

というわけで信頼と師仲は清盛が都を留守にした隙を狙って事を起こすのですが。

なぜ清盛が都から離れたかといえば。

信西に付くことが「利」となるのか。信頼に付くことが「利」を生むのか。どちらかに付くという選択肢は、果たして意味があるのか。考えて、清盛にその答は出なかった。であればこそ清盛は、その決断をした。逃げたのである。 (P296)

うん、まぁ、賢いといえば賢い。

信頼は後白河院と信西がいる三条東御所に夜討ちをかけます。院をよそへ遷し、御所に火をかけるのです。こんなこと、「何をしても院は自分を怒らない」という自信がなければできませんよねぇ。

信西の屋敷も火をかけられます。院の乳母である妻朝子は院の姉、上西門院の着物の裾に隠れてひとまず難を逃れましたが信西は果たして……。

火を噴き燃え落ちているのは、三条東殿だけではない。摂関家の栄華を実現させた、王朝という時代が燃え落ちているのである。 (P314)

都のただ中で「合戦」というものが起こりえてしまった保元の乱。そして、たとえどのような理由があろうと、上皇御所に火をかけるなどという暴挙が起こりえた平治の乱。

王朝という時代に火をかけたのは、果たして武者だったのでしょうか――。

2012年4月 6日 (金)

『双調平家物語』第9巻/橋本治~その1:頼長は死んだ後も無惨~

摂関家の兄弟忠通と頼長、そして天皇家の兄弟後白河帝と崇徳院。兄弟同士の争いだった保元の乱は忠通・後白河帝の側の勝ちに終わりました。

しかしその実摂関家の超越は奪われ、むしろ忠通は保元の乱最大の敗者ともなっていました。

乱の後、新たに御世を動かすことになったのは信西。後白河帝の乳母の夫であり、鳥羽院に後白河帝即位を勧めた学者坊主です。

都のただなかで「合戦」が起こり、朝廷とそれに仕える貴族達というシステムの頂点に君臨していた摂関家の勢威が衰える。王朝の夢は覚めつつあったけれど、そのことに気づいていた人間はおそらくほとんどいなかった。

その時に人は生きて、世を生きる人々は、自身の生きる世に起こりつつあることを、一向に理解しない。人の世の哀れとは、このことに尽きる。 (P24)

頼長の死はまだ公にされていなかった。けれど、人は頼長がどうなったかなど気にしなかった。頼長・忠通の父であり、南都に僧兵を従えたままだった忠実の処遇が決されてしまえば、「頼長方」であったはずの南都の者達でさえその消息を問わなかった。

哀れ頼長。

「人は、このお方の死を悼むべきだ」と、玄顕は思った。 (P33)

玄顕というのは頼長の家司を務め、最後まで頼長に従い、あげく拷問を受けることになった盛憲・経憲の弟です。頼長は彼の用意した粗末な小家で息を引き取り、彼ら兄弟の手によって般若野に葬られたのでした。

朝廷側に投降したはずの兄達からは音信がなく、兄達が報告したはずの頼長の死が、南都にはまるで伝わらない。

「左府の死は、人に伝えらるべきことではないのか?」 (P33)

それはおかしい、左府の死を人は悼むべきだ、と思えばこそ、玄顕は都に赴き頼長の遺骸のありかを朝廷に申し出た。摂関家の後嗣と目され、左大臣にまでのぼり詰めた人をきちんと弔ってもらうために。

しかし玄顕のその思いはかえって仇となった。朝廷は頼長の遺骸を掘り起こし、「葬ることはまかりならん!烏の餌食とせよ!」と言ったのだ……。

死してなお無惨なり頼長。

自業自得なところはあるけど、「お主上への反逆罪」自体は濡れ衣なのにね。

頼長の一生って何だったんだろう。人の一生って……。

一方、同じく敗者となった崇徳院は讃岐へ流罪となり、9年の後、失意の内に世を去ります。手ずから書き写した経巻を都に送り、「どうか供養を」と願った。けれど経巻を託された実の弟(仏門に入っていた覚性法親王)は「関わりたくない」とばかりさっさと内裏へ奏上し、信西も後白河帝も、「そんなもの」を懇ろに扱う気はなかった。

「要らぬこと」と経巻を送り返された崇徳院は憤る。謀反の罪を問われたとはいえ、もとは御位にあったものが、後世を願うことさえ許されないのか。

「我、天下を滅亡させん!」――崇徳院は自らの血で、手元に戻された経巻に誓文を書きつけたという。

後に「怨霊」として有名になる崇徳院ですが、彼の一生もホントにね……。彼が白河院の胤だったのかどうか、真偽のほどはわからないけれど、鳥羽院に疎まれたことも、美福門院得子の登場によって御位にあることを疎まれたことも、彼の責任ではない。弟達(覚性法親王と後白河帝)の性格・思考を理解せず、世の趨勢もあまりわかっていなかったのは事実でしょう。それを「未熟」「自業自得」と言うのは簡単だけど、「天皇家の皇子」がそうそう「世慣れ」するわけもなし。

周りの人間次第の「天皇」。だからこそ白河院も鳥羽院も「上皇」という立場を望んだ。御位を下りることによってしか、「力」は手に入らない。

なんというかな……。

頼長は乱で直接死に、崇徳院は流罪の後に死に、「崇徳院方」として戦った平忠正とその子らは清盛によって斬首、同じく源為義とその子らは義朝によって。もちろん義朝が直接斬ったわけではなく、『双調』では為義は鎌田の正清に斬られたことになっている。清盛も、おそらく自分では斬っていないのでしょうが、松ケンが豊原功補さんを斬るところも見たいような。

大河では豊原さん扮する忠正は「平家の血を引いていない」清盛に対して、ずっと快く思っていなかったですよね。面と向かってそれを言ってもいたし。

だから保元の乱でも後白河帝方と崇徳方に分かれた……わけではたぶんなく、「摂関家の走狗」でしかない武士達は、一族の誰かがどっちかへつくしかなかったんでしょうね。どちらかが残ればよしと。

為義も、今さら面倒だと思いながら、「義朝がいればいい」と思って仕方なく崇徳院方に味方した。

頼長も忠通も、分かれて戦ったどちらもが「摂関家」の「長」でありうる人間だったんだもんなぁ。

で。

義朝や忠正はつまりは「死罪」となったわけですが。

朝廷において、340年余りの長きに渡って「死罪」は行われていなかった。都のど真ん中で「合戦」などという血なまぐさいことが行われ、「死罪」という血なまぐさい刑も復活した。

この時代の、民衆に対する刑罰がどうなっていたのか知らないんですが、たとえば盗賊に対しても「死罪」というのは行われていなかったのかしら? 「討伐」という形で戦ってる最中に殺しちゃう、というのはきっとあったと思うんだけど、平民がトラブルで平民を殺した場合、つまり「殺人犯」に対してどういう罰が与えられていたんだろ。そもそも捕まったんだろうか。

「死罪」がどうこうと言っても、たぶん貴族だけ、政治犯だけの話なんでしょうね。貴族の中で盗みとか殺人とかあったらどういう「裁き」が行われたのか。司法・警察の役割を担う「検非違使」という制度はどれくらい機能していたのかなぁ。

なんてことはともかく、父・為義を「斬れ」と命じられた義朝の話です。

それ以前に義朝は、「一族」なるものへの関心を稀薄にしていた。義朝にとって重要なのは、血を分けた「一族」ではなく、彼に従い彼と共に戦う一家外の男達――「郎等」だったのである。 (P56)

さすがに実の父を殺すことには多少のためらいがあったようなのだけど、父に従い、それゆえに「死罪」となった弟達のことは、なんとも思わなかったらしい。

もちろんこれは「双調平家物語」の中の話で、実際の義朝の「心の裡」なんかはわからないのだけど、東国で武者修行をした義朝が「都人士」とは違った考えを持っていたのはおそらく間違いがない。

義朝の子頼朝が都とは一線を画し、鎌倉の地に幕府を開いたのは偶然ではない。清和源氏の栄光は、都の貴族達によってもたらされるものではなく、東国の武士達によって支えられるものだったからである。 (P57)

彼に従う東国の武者達は、義朝にとっての力であり、義朝のすべてであった。その点において、「一族の栄え」をもっぱらに願った伊勢平氏――平清盛と、源義朝は決定的に違うのである。 (P58)

大河ドラマではなんか義朝の方がしっかりしてて、清盛はまだまだガキっぽくてバカっぽい感じがしますが、「一族」を大事にする清盛と、「自分に従う武者」を大事にする義朝と、どっちがより「いい人」なんでしょう。

なんてことをつい思ってしまうのは、義朝が為義の幼い子ども達を平気で「死罪」にしてしまうから。

「為義の子」ということは、義朝の「腹違いの弟」です。為義はかなりの子だくさんで、武勇をもって鳴る(というか、乱暴をもって鳴る)為朝が八男坊。さらにその下に、13歳から7歳の4人の男の子がいた。まだ「乙若」とか「亀若」とか呼ばれている、元服前の少年達。

「弟」と言っても腹違いだし、「一体何人おんねん」だから、もしかしたら義朝はろくに会ったこともなかったのかもしれない。「他人同然」でも仕方がない。でもその幼さを思えば、助命を嘆願するとか密かに逃がすとかあってもいいのに、まったく頓着しないのだなぁ。

彼ら幼い子ども達を斬らされるのは波多野の次郎信景。義朝は彼の妹との間に子をもうけていて、だから彼は義朝にとって義兄にも当たる郎等。

もともと義朝に「絶対服従」という感じではなかったこともあってか、彼は幼い子ども達を斬るといういわば「汚れ役」を押しつけられたことで、その後義朝とは袂を分かつ。そりゃあねぇ、そうだよねぇ。

またこの子ども達が首打たれる場面の冴え渡る筆ときたら。嗚呼!

為義の首ばかりは葬られ、子ども達4人の首はその辺にほったらかしにされた。信景は自身が打った子らの首を拾い、為義の墓のそばに埋め、手を合わせる。「主人」に仕え、主人を通して「朝廷」に仕える身、命令に背くことはできかねる。けれどせめてきちんと弔うことぐらいは――。無駄な優しさなのかな。可哀想に思うなら、「打った」ということにして逃がしてやればよかったのか。

人というものは……。

ただ「死罪」を復活させただけでなく、そんな幼い子らの命まで平然と奪った張本人は他ならぬ信西。

さて信西とはいかなる人間だったのか……というところで以下次回。

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