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2016年8月26日 (金)

『暗闇へのワルツ』/ウィリアム・アイリッシュ

はい、またまたウールリッチです。

1947年に発表された長編9作目。この翌年に『死者との結婚』が発表されていますが、少し似た感じがありますね。花嫁が本人じゃないというところ、いくつかのエピソードを重ねて長編にするのではなく、一人の男と一人の女が繰り広げる一つのお話というところ。

AmazonさんのリンクはKindle版で、表紙が映画『ポワゾン』になっています。アンジェリーナ・ジョリーとアントニオ・バンデラスという濃ゆい二人で映画化されたそうですが……うーん、この表紙写真からして「全然原作と雰囲気違うな」なんですけど(^^;)

フランソワ・トリュフォー監督、カトリーヌ・ドヌーヴとジャン=ポール・ベルモンドの共演で撮られた『暗くなるまでこの恋を』の原作でもあります。

日本では1981年に二時間ドラマとして映像化されているそう(『仮面の花嫁 暗闇へのワルツ』)。こちらは酒井和歌子と愛川欽也。ネットで検索してみるとけっこう原作に忠実な感じで、ちょっと見てみたい気が。

『仮面の花嫁』というタイトルも、原作の内容をよく表しています。

陽は輝かしく、空は青く、時は五月。ニューオーリンズはまさに天国であった。 (P9)

という印象的な書き出しで始まる本編。ニューオーリンズでコーヒー商を営むルイス・デュランドは、埠頭で船から花嫁が降りてくるのを待っています。

デュランドはまだ一度も花嫁と会ったことがありません。花嫁ジュリアは文通相手。互いの写真を送り合ってはいたものの、その「文章」だけで恋に落ち、結婚を決めていたのでした。

今ならさしずめSNS婚という感じでしょうか。ネット上のやりとりだけで、一度もデートせずに結婚まで突き進む。

ネット上だと「アイコンは美少女なのに実はおっさんかよ!」ということが往々にしてありますが、デュランドの前に現れたジュリアもまた、写真とは違っていました。

なんと、写真より若くて美人だったのです!!!

そんなことがあるものでしょうか。

普通はないですよねぇ。

もちろんジュリアは「なぜ嘘の写真を送ったか」について弁解をし、デュランドはそれを信じる――というか、要は若くて美人なジュリアの魅力に参っちゃうわけです。

何しろ連れて歩けばみんなが注目するほどの美女なんですから、37の年まで独身で来たデュランドはもういちころ。

この、デュランドの造型がよくできてるんですよね。22歳の時に結婚するつもりだった女に死なれて、それ以来恋とは無縁に生きてきて、四十路間近に急に寂しさを覚え女性と文通なんか始めて……。

うん、全然アントニオ・バンデラスじゃない(笑)。

読者としては「きっとこいつ本物のジュリアじゃないんだろーなー」と最初から思うわけで、ウールリッチさんもいくつか「怪しいエピソード」をつらねて「ほらほら、この女怪しいだろ?」とけしかけてくるんですが、デュランドは彼女に完全に裏切られるまで気づかない。

ほんまな(´・ω・`)

気づきたくないんだよね。すっかり彼女に惚れちゃってるから。

結婚後1か月ほどして、“ジュリア”は彼のお金をごっそり引き出して雲隠れ。彼女に騙されたことよりも“最愛の妻”を失ったことの方にショックを受け、デュランドはしばらく廃人状態。

「あなたは泣いていらっしゃるけれども、泣くほどのことじゃございませんよ。歎いていらっしゃるけれども、歎くほどの人だったでしょうか?」 (P113)

と女中のサラーばあやが言う通りなんですけどねぇ。若くて美人だけど、金遣いが荒くて葉巻を吸うはすっぱな女。

すっぱり諦めてまた地道に生きれば良かったのに、デュランドは彼女にもう一度会いたくて――会ってこの手で殺そうと思い決めて――私立探偵に捜査を依頼する。本物のジュリアがどうなったのかを調べ、いなくなった方の“ジュリア”がどこにいるか探し出してほしいと。

が。

ダウンズより先にデュランドが彼女を見つけちゃうんです。で、すっかり言いくるめられちゃう。

「私はあなたと結婚するまで男を知らなかったのよ」とか、「あなたを好きになっちゃったから詐欺計画を続けられなくて逃げたの」とかいう言葉にあっさり騙されちゃう。

もちろん最初は「こんな女の言うことを信じちゃいかん」「どうせ全部嘘だ」と理性が言い聞かせるんだけど、でも感情の方は彼女を信じたくてたまらない、彼女が「自分を好きになった」ことを信じたくて信じたくて……。

この「揺れる男心」がウールリッチの華麗な文章で逐一綴られるわけですからもう。

たまりません(褒めてる)。

彼女と再会し、すっかり彼女にめろめろになって、デュランドは一生を棒に振っていきます。気の毒というかなさけないというか、まさに「目も当てられない」感じで、読み進むのが可哀想なぐらい。

そんなロマンチストのへたれ男を面白いように手玉に取る偽の“ジュリア”=ボニーの小悪魔っぷりがまたすごい。

しょうがないよね、うん。こんな女にうっかり出逢って、たとえ一か月でも夫婦としていちゃいちゃ暮らしちゃったら、もう後戻りはできない。

再会の夜、かりそめの懺悔をした彼女は

「さあ早く、あなあたの妻の部屋へいらっしゃい」 (P250)

とデュランドを誘う。

犯した罪がバレないかと戦々恐々のデュランドに「おまえの心臓はいったい何でできているのだ?」と訊かれれば

「あら、だって彼は知らないんだもの。だから、平気な顔ができたのよ。あなたはポーカーをやったことないのね?」 (P329)

と平然と答える。

いい女ですよ、うん。これ以上はないくらい。

道徳観念ないし家事もできなくて男を金づるとしか思ってないけど、悪びれたところは全然なく、度胸も愛嬌もあって、「だって私はこうなんだもの。仕方ないでしょ?」という感じ。

お話の骨格としては「悪い女に引っかかった男の転落人生」なんだけど、後半ものすごく煩悶しながらもその実デュランドは幸せだったんじゃないかなぁ、という気がする。

最後の最後、改心したボニーが「これからはあなたのために…」と言っても、デュランドは

「おれは、いまのままのおまえがほしいんだ。たとえ生きるためだろうと、おまえを変えたくない。おれは、善良な気高い女なんかほしくないよ。(中略)絶対変るなよ。おれは、おれの知ってるとおりのおまえを愛してるんだからね」 (P487)

と答える。

そうなんだよ、彼女があんな小悪魔だったからこそデュランドは身も世もなく惚れちゃったわけで。

もし本物の、文通相手のジュリアが普通に桟橋に現れて結婚していたとして、デュランドがその後幸せだったかどうかはわからない。大きな不幸もないかわり、「こんなものか」という結婚生活だったかもしれない。

「彼女がぼくを愛してくれるならどんな運命でも受け入れます。たとえそれがスペードのエースでも」と神に願ったデュランド。その願いが最後の最後で叶えられるんだから、デュランドは決して不幸ではない……と思う。

最後の数ページはほんとにグッと来てしまいましたわ。あの小悪魔が改心するなんて御都合かもしれないけど、でもボニーが途中でデュランドのもとを去らなかったのは(デュランドの金がなくなった時点で去っても良かった)、やっぱり彼女も彼になにがしかの愛着を感じていたんじゃないかと思うのよね。彼女自身が自覚していようといまいと、それが世間一般に言うところの“愛”とはまた違ったものだったとしても。

少なくとも、二人が並の夫婦よりずっと濃密な時間を過ごしていたことは確かで。

訳者の高橋さんが解説でこうおっしゃっています。

“ウィリアム・アイリッシュは処女作以来ずっと――ほとんどの作品が――女と男の間の愛をテーマにしてきました。そのような愛のもつ矛盾あるいは心の動揺が、底知れぬサスペンスの契機となっている”

愛の物語なんですよねぇ。

ロマンチックでおセンチで破滅的。

やっぱりウールリッチ好きだ!

 

ちなみに県立図書館の書庫から借り受けてきたハヤカワ文庫はこんな表紙でした。昭和51年発行、定価480円。

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本文を読んで想像するボニーとはちょっと違うイラストです(^^;)

2016年8月19日 (金)

『ケルン市警オド』第1巻/青池保子

『修道士ファルコ』のスピンオフ、リリエンタール修道院でファルコの良き相棒として様々な事件を解決してくれる兄弟オドの「俗世時代」を描くシリーズ、第1巻が発売になりました。

わ~い、パチパチ\(^o^)/

期待を裏切らない面白さです。

修道院に入る前、大都市ケルンの警吏だったオド。有能すぎて塔牢獄はいつも彼の逮捕した罪人でいっぱい。名家の子息だろうと何だろうと法を犯した者には容赦のないその辣腕ぶりがお偉いさん方に煙たがられ、行方不明者捜索という名目で体よくケルンを追い払われる羽目に。

と言っても別に「しばらくそっちの案件にかかずらっててね」と言うだけで山奥へ左遷されたわけではないんだけど、「たいしたことない人探し案件」のはずが実は殺人事件で、図らずもオドはまたまたその有能っぷりを発揮することになります。

少佐だよね、うん。

有能すぎて持て余されるとか完全にエーベルバッハ少佐。

ケルン第一市長はSISのミスターLに似てるし、オドの後輩フリートは少佐に叱咤されるA(アー)君のよう。(見た目は初期のジェイムズ君ぽい)

オドを助けてくれる薬草に詳しい修道僧ペトルスは「修道士カドフェル」を彷彿とさせます。

中世ドイツのイケメン強面警吏の活躍譚、『プリンセスGOLD』12月号から連載再開ということでまだまだ楽しめそうです♪

2016年8月16日 (火)

『黒いアリバイ』/ウィリアム・アイリッシュ

引き続きウールリッチを読んでおります。

1942年に刊行されたブラックシリーズ第三作『黒いアリバイ』。実は1939年に発表された短編『黒い爪痕』を長編化したものです。

『黒い爪痕』は白亜書房さんの『コーネル・ウールリッチ傑作短編集第3巻』に収められていて、「あまり好みじゃなかった」と感想を書いてますね(^^;)

舞台が南米の架空都市に移され、犯人も変更されていますが、少なくとも最初の2つの事件は短編版をほぼなぞっているので既視感ばりばり。

でも長編化されているので被害者のそれまでの暮らしぶりや感情、被害に遭うまでの過程がより細かく描写され、当然死に際の恐怖もより細かく、微に入り細に入り……。

短編版以上にサスペンス感が強い。

読む方も「この子も殺されるのよね…」って思いながら「今か今か」とページを繰ってるからほんと息苦しい。しかもウールリッチさん、短編よりも手の込んだ展開で「今か今か」を引き伸ばし、恐怖を長引かせてくれる。

『黒い爪痕』と同じく、とある理由で猛獣が街に解き放たれ、その獣に襲われたと思われる死体が次々に発見される。警察は獣の行方を捜すけれど、獣が街を闊歩する原因を作った男マニングは「本当にこれは獣の仕業なのか?」と疑問を抱く。

もとはと言えば「マニングのせい」なので、警察は「自分の責任を認めたくないだけだろ」という感じで取り合ってくれないのですが、マニングには「この事件には人間が関わっている」としか思えないのです。

なぜなら。

「人間でなくて、どんな動物が、こんなにとことんまでやりぬけるもんか。こんなむごいことができるのは、人間だけさ。どんなに悪逆非道の猛獣だって、ここまではやらない」 (P142)

確かに、都会なんだから人間を襲わなくてもゴミ箱とか色々漁れば食欲は満たされそうだし、そんなにお腹が空いているならなぜ昼には姿を見せないのか。夜行性だとしてもなぜうまい具合に誰もその現場を目撃していないのか。

空きっ腹を抱えた獣なら手当たり次第に人を襲ったっていいはずなのに、

「被害者はみんな女ばかり、それも年寄りでも中年でもない、妙齢の娘ばかりです。ずいぶんませた豹です。まるで紳士だ。若い娘が専門らしいですね」 (P244)

あ、「豹」って言っちゃった(笑)。

これ、マニングのセリフなんですけどね。4人目の被害者が出たあと、警察に投げつけるセリフ。

1人2人なら「たまたま若い女だった」ということも考えられなくはない。でも被害者4人ともが若い娘で、しかも美人ときては、「襲っているのが豹だとしても、襲うべき相手を選んでいるのは人間」としか思えなくなる。

なのでマニングは事件の関係者2人に協力を依頼し、犯人を罠に掛けようとする……。

この、最後の犯人追跡劇もけっこうドキドキしますが(最後の最後まで犯人の正体を明かさないのもうまい)、でもやっぱりウールリッチの真骨頂は「謎解き」ではなく「息詰まるサスペンス」なんですよねぇ。

刻一刻と死に近づいて行く四人の女性達の「最後の夜」の描写。

ごく当たり前に、他の誰とも違わない日常を送っていた娘達が――明日は来ると信じて疑わなかった彼女達の人生が、突然理不尽な暴力によって断たれる。

「若い娘が夜中に出歩いてたのが悪い」と日本なら言われそうだけど、1件目のテレサちゃんなんか、本人が「もう真っ暗だし、なんか豹がうろついてるとか言うし行きたくない」と言ってるのに母ちゃんが「炭買ってこい!!!」って追い出すんだよ。それでテレサが「ひたひた近づいてくるアレ」から逃げてほうほうのていで家に帰ってきても「遅いんだよ!何やってんだよ!!もううちになんか入れてやんないよ!」ってドアにかんぬきかけてるの。

「お母さん!開けて!」という声もむなしくドアの外でテレサちゃんは……。

えげつなすぎる。

3件目も一旦は「逃げおおせた!」みたいになるのに結局……だし。

ウールリッチさんほんまえげつない(´・ω・`)

晩年の短編に「人違いで生き埋めにされる若い夫婦の恐怖」を描くだけの救いのない話があって(『ウールリッチ傑作短編集第5巻』所収)、晩年は精神のバランスを崩していた、みたいに言われてるけど、若い頃から実はそんなのばっかり書いてたんじゃないか。

このお話ではちゃんと犯人が報いを受けるし、ラストはちょっと小粋な感じで幕が下りるけど、でもそれは「こういう余分をくっつけとかないと世間は受け入れてくれないんでしょ」という単なるおまけのように思える。

死はいつも理不尽で、そして「こんなむごいことができるのは人間だけ」。

人が殺されるのをスリラーとかサスペンスとか言って娯楽にするのも人間だけだもんね。

 

翻訳はかの稲葉明雄さんで、1977年に書かれた稲葉さんによる「訳者あとがき」がなかなか興味深い。

「いわゆる本格物を“卒業”された読者の方々におすすめしたい」 (P337)

「あるいは一昔前なら、本格尊重派からアンフェアと批判される点もなくはないが、(中略)柔軟な、若い頭脳には、大いに迎えられるにちがいないと信じるしだいである」 (P344)

果たして当時の「若い頭脳」にウールリッチは受け入れられたんでしょうか。私が児童書の棚で『幻の女』『黒衣の花嫁』に出会ったのは1980年頃だったと思いますが――私自身は面白く読んだはずですが。

ウールリッチが死んでまだ10年経っていないので、その「わびしい死」についての言及もあり、ウールリッチの数少ない友人マイクル・アヴァロンの追悼文が訳出されています。

「つまるところ、言葉がすべてであり、作品こそが命である。すくなくともこの意味で、コーネル・ウールリッチは法外な大成功をおさめて逝ったといえるだろう」 (P342)

うん。

2016年8月11日 (木)

『Ella Enchanted』新訳版刊行を応援してみませんか?

世界の本を翻訳出版する「サウザンブックス」さんから興味深い企画が上がっています。

『Ella Enchanted』というファンタジー作品の編集中原稿を読んで感想を送ることで出版を応援しよう!という企画。

出版前の貴重な原稿に目を通せて図書カードももらえるなんて、なんとお得な企画♪というわけで私ももちろん応募しました。

私が応募した時は「8月10日」が締め切りだったのですが、好評のため8月31日まで募集期間が延長されています。

『Ella Enchanted』というこの作品、『アン・ハサウェイ 魔法の国のプリンセス』というタイトルで映画化もされているそう。

原著はこちら。米国で大人気、日本の読者さんからも高い評価を受けてるみたいですね。原著で読めるのすごい(^^;)

『さよなら、「いい子」の魔法』というタイトルで2000年に日本語訳も出ているのですが現在は絶版とか。

 

早速編集中原稿を読ませていただいてますが、児童向けファンタジーなのでなんか懐かしい感じがします。こういうの読むの久しぶり……というかそもそもあんまり読んだことないかも(^^;)

原題の「Ella Enchanted」は「魔法をかけられたエラ」という意味。生まれた時に妖精からとある魔法(というかむしろ“呪い”)をかけられたヒロイン、エラ。15歳になるちょっと前に大好きな母を亡くしたエラは――。

父親のピーター卿が早くもとってもヤな奴なんだけど、がんばれエラ!

 

妖精好き、プリンセス好き、とにかく本好きな方、ぜひ応募してみてはいかがでしょうか。

2016年8月 6日 (土)

「g.o.a.t」を試しています・その2

「g.o.a.t」を試してみましたという記事を書いてから1週間ほど経ちました。

その間にわかったこと・気づいたことの追記です。
 

【カテゴリ機能はこの先もないらしい】

ただし「タグ」による分類・検索機能は実装予定とか。「g.o.a.t officialさん」がその旨つぶやかれています。

何らかの形で「この記事とこの記事には関連がある」ということをマークできればいいのですから、「カテゴリ」である必要はないですよね。

たとえばこの「もっと、うららかな日々」では「本」カテゴリの記事が多くなりすぎて大変なので、橋本治さん関連やエラリー・クイーン関連の記事を「Webページ」として別にまとめていますが、記事に「タグ付け」ができてそのタグで検索できるならわざわざ自分で「Webページ」を作る必要はないのに……、と前から思っていました。

Webページが増えるとサイドバーごちゃごちゃするしね。

eoblogに引っ越す前、「関西ドットコムblog」の時は「大カテゴリ」の中に自分で好きに「小カテゴリ」を作れたので、「本」の中に「橋本治」「その他」と入れることができたのですが。

まぁ、アクセスしてくださる方がどれくらい「カテゴリ」や「タグ」を意識してくださるのか、他の記事も読んでみようと思ってくださるのか、わからないですけど。
 

【会話機能楽しい】

g.o.a.tには「会話」スタイルで記事を書く機能があります。

それを使って書いてみたのがこちら→「宝塚ファミリーランドがあった頃」。

書くの、異様に楽しかったです(笑)。もうずっとこのスタイルで書けばいいんじゃないかと思ったほど。

「タカ!」「ユージ!」ってこのスタイルで「あぶ刑事」パロ書くとか、会話だけのちょっとした短編小説を書くとか、色々遊べそうです。

ただ、会話の途中に動画を挿入しようと思ったらうまく行きませんでした。会話じゃない文章の途中に挿入するのはできたので、何か制限があるのでしょうかね。画像の挿入は会話の途中でも大丈夫でした。
 

【埋め込みに失敗する】

「埋め込み」機能でTwitterのつぶやき等を挿入できるのですが、使えるhtmlタグに制限があるのか、「サイト内検索窓」やアマゾンさんの画像付きアフィリエイトリンクを入れようとすると「埋め込みに失敗しました!」と出ます。

「検索窓」は「form」タグ、アフィリエイトは「iframe」タグ。

広告を排してすっきりした美しい見た目を維持するためアフィリエイトも禁止なのかな、と思ったりしますがテキストリンクは普通に貼れます。

タグでの検索機能が実装されるなら特に自分で「検索窓」を付ける必要はないですけどね。サイドバーがないから置き場がないし。
 

【ペーストが改行ごと】 (※2016/08/17の仕様変更で変わりました!追記をお読み下さい!

g.o.a.tの投稿画面はとても使いやすくて何もネタがなくてもついつい何か書きたくなってしまうのですが。

改行のたくさん入った長文をペーストできないのがたまにキズ。

g.o.a.tではこんな感じに ↓ 改行ごとに自動で段落になって装飾や削除ができるようになってます。(Shift+Enterで段落内改行もできます)

20160806s

で、たとえば出先でエディタに箇条書きでメモを取って、それをこのg.o.a.tの投稿画面に貼りつけると、最初の1行(改行までの部分)だけしか貼りつかない。

うわー、そーかー、そーなのかー。

あくまでも「この画面で文章を書きなさい」という仕様なんですね。

スマホからでも投稿はできるみたいなんですけど、何しろ私のスマホはあまり重い作業はできない子なので(^^;)

エディタならオフラインでも書けるけど、g.o.a.tの投稿画面で書くにはオンラインじゃなきゃダメだし。

「本」の記事を書く時は特に、読んでる最中にメモを取ってそれをどーんとペーストして手直ししていくことが多いんですが、g.o.a.tではそういう書き方は諦めた方が良さそうです。

【※2016/08/19追記】

2016/08/17に改行の仕様が変更され、「Enter」で改行、「Shift+Enter」で要素変更(改段落)になりました。

その結果(だと思いますが)、改行の入った長文ペーストも普通にできるようになりました。

エディタで入力した改行入りの長文を貼りつけると改行ごとに改段落された状態で無事全文貼りつきます。地味に嬉しい。

2016年8月 5日 (金)

g.o.a.tブログ「うららかな空」内を検索する窓のテスト

g.o.a.tの方につけようと思ったらうまく埋め込めなかったのでこっちでテスト。
(そう、見た目はこのblogのサイドバーに設置してあるのと同じです(^^;))

 

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『黒いカーテン』/ウィリアム・アイリッシュ

はい、またアイリッシュ=ウールリッチに戻ってきました。

『黒衣の花嫁』に引き続く“ブラック”シリーズ第2作『黒いカーテン』。1941年の作品です。

昔の小さめ活字で文庫版194ページ。中編よりはちょっと長いかな、ぐらいの分量。

街角で建物の屋根が崩れてくるのに巻き込まれた主人公タウンゼンド。幸いたいした怪我もなく済んだものの、なぜそんな界隈にいたのかわからない。妻ヴァージニアが待っている家に慌てて帰るとそこに妻はおらず、探し当てた引っ越し先で妻は驚いた顔を見せる。

なんと、タウンゼンドは3年間行方不明だったというのだ。

今朝家を出て、そのまま帰ってきたつもりのタウンゼンドに、3年間の記憶はない。屋根の崩落に巻き込まれたショックで記憶を失ってしまったらしいのだが、一体3年もの間自分はどこでどうしていたのか?

ともあれ愛しい妻のもとに戻り、元の職場にも復帰して何事もなかったように暮らし始めたタウンゼンド。けれどある日、彼は気づく。自分を見ている男――「ついに探し当てたぞ!」という顔をして自分を追ってくる男がいることに。

近づいて、名前を訊けばいい。用件を尋ねればいい。なぜそんなにじろじろ見るのか、なぜ追いかけてくるのか。

けれどタウンゼンドはそれをすることができない。彼には「空白の3年」があるからだ。その3年の間、自分が何をしていたのかわからない。

何か、追われるようなことをしでかしていたのかもしれない。

決して捕まってはならないのかもしれない。

……この、前半の不安と焦燥がたまらないんですよねぇ。人を心理的に追い詰めさせたら天下一品の「サスペンスの巨匠」ウールリッチ。その手腕を遺憾なく発揮しています。

が。

後半、その3年の間に起こった「事件」の真相を解明しようとする部分は正直あんまり面白くない(^^;)

なんというかおまけっぽい。

前半ものすごーく怯えて胃をキリキリさせていたタウンゼンドが急に行動的になっちゃうし、空白の3年の間に“恋人”だったらしい女性と普通にベッドをともにしている感じだし(え?ヴァージニアは?ヴァージニアは???)、いくら「過去」をはっきりさせるためとはいえ、記憶喪失のことを告げずに彼女の自分への想いを利用するのはなんか……。

しかもその女性、最後には都合良くいなくなっちゃうしなー。自分だけ何事もなく妻の元へ帰れるとか、いいのかそれで。

ウールリッチにとっておそらくこれがミステリ長編2作目で、その辺(前半と後半のバランスとかあまりに御都合主義な終わり方)がまだこなれてない感じします。

というか、前半が書ければそれで良かったんやろな、みたいな。

自分が3年間何をしていたのかわからない。記憶の中の“昨日”の続きが今日でない怖ろしさ。

存在の不安。

後半の謎解きの中に、『傑作短編集・別巻』に収録されている「眼」とほぼ同じ設定が出てきます。半身不随で口がきけず、何を見ても何を聞いても周囲に訴えることができないと思われている人物。

失われた3年間の間に主人公とその人物との間にけっこう心の交流があったのかな、とか想像してしまいます。そこが描いてあればもっと話に膨らみが出たのかな、と思う反面、描くのはやっぱり蛇足な気も。

1960年(昭和35年)初版の文庫、中表紙に「圧倒的なサスペンスで描くスリラー派の驍将アイリッシュ」と書いてあります。

「驍将(ぎょうしょう)」という言葉、初めて知りました。新解さん第6版によると、「強いという評判の大将」という意味らしいです。うーん、ウールリッチは「強い大将」というイメージじゃないけどな(^^;)

まだウールリッチが生きている時分に出された邦訳、「戦後わが国に紹介された数多い英米の推理小説作家のなかで、もっとも広く歓迎されたのは、本書のウィリアム・アイリッシュであろう」という解説も感慨深いです。新訳もいいけど、昔の版を読むのも楽しいんですよね。

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  • ウイリアム アイリッシュ: 暗闇へのワルツ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

    ウイリアム アイリッシュ: 暗闇へのワルツ (ハヤカワ・ミステリ文庫)
    いやー、たまりません。ファム・ファタルに翻弄されるアラフォー男のたよりなさ、なさけなさ。ウールリッチの華麗な筆がこれでもか!というぐらいしつこくその揺れ動く心理を描写してくれる。また悪女ボニーがいいんだよねぇ。あっけらかんと悪気なく小悪魔。ラストはできすぎな感じするけどそれでもツンと鼻の奥が…。やっぱウールリッチ好きやわ。

  • 青池保子: ケルン市警オド 1 (プリンセスコミックス)

    青池保子: ケルン市警オド 1 (プリンセスコミックス)
    『修道士ファルコ』のスピンオフ、修道士オドの俗世時代を描くお話。有能すぎてお偉いさんに煙たがられるオド、まんま少佐ですw 殺人を犯してまで僧院が守り通そうとする秘密とは…。さすがの面白さです。青池先生すごい。

  • ウィリアム・アイリッシュ: 黒いアリバイ (創元推理文庫 120-10)
    短編『黒い爪痕』を長編化した作品。舞台も犯人も短編とは違うけど、前半はほぼ短編の展開を踏襲しているので既視感すごいです(^^;) でも長編化されてそれぞれの被害者の人生や死に際がさらに事細かに描写されてサスペンス感はさらにup。「この子殺されるよね」ってわかって読んでるからほんと息苦しいほどです。ウールリッチも犯人とかどーでもよくてこの息苦しさをこそ書きたかったんだろうな。理不尽な死というそのものを。
  • ウィリアム・アイリッシュ: 黒いカーテン (創元推理文庫 120-1)

    ウィリアム・アイリッシュ: 黒いカーテン (創元推理文庫 120-1)
    『黒衣の花嫁』に続くブラックシリーズ第2作。文庫で195ページほどの中編です。3年分の記憶をなくした男が何者かの追跡に怯える前半はウールリッチの真骨頂。後半の謎解きはおまけっぽいです(^^;)

  • 森 博嗣: 赤目姫の潮解 LADY SCARLET EYES AND HER DELIQUESCENCE (講談社文庫)

    森 博嗣: 赤目姫の潮解 LADY SCARLET EYES AND HER DELIQUESCENCE (講談社文庫)
    100年シリーズというか女王シリーズというかの最終3作目ということで読んでみたのですが。1,2作目の登場人物は出てこないよね?流れているテーマが同じ、というのはわかる気がするけれど。哲学問答として面白かったしテーマ自体はすごく好きだけど、物語として「面白かった!好き!」っていう感じではない。そもそもこれは“物語”なのか…。

  • 鋼屋 ジン: 小説 仮面ライダー鎧武 (講談社キャラクター文庫)

    鋼屋 ジン: 小説 仮面ライダー鎧武 (講談社キャラクター文庫)
    予想以上に楽しんでしまいました。「通りすがり」のヒーロー出てくるとこらへんからのクライマックス、超胸熱! ライダーシリーズへの愛、ヒーロー物への愛を感じさせてくれます。「世界を救う」、普通の小説なら陳腐なセリフも、ライダーなら! 読んでよかったです。

  • シェイクスピア: 新訳 マクベス (角川文庫)

    シェイクスピア: 新訳 マクベス (角川文庫)
    萬斎様の舞台『マクベス』で使われている河合祥一郎さんの訳。下段に訳注があるスタイルで、注を見るためにページを行ったり来たりしなくてもいいし、注を無視して上段(本文)だけ読み進めることもできて読みやすい。予想よりマクベス夫人が悪女じゃないし、戯曲を読み慣れてないせいか「これだけ?」って感じが(^^;)

  • 橋本 治: 福沢諭吉の『学問のすゝめ』

    橋本 治: 福沢諭吉の『学問のすゝめ』
    主に初編を中心に『学問のすゝめ』を解説した本。橋本さんならではの解釈&時代背景説明がいつもながら楽しい。今や福沢諭吉といえば1万円札しか思い出さないくらい「何をしたかよくわからない偉人」ですが、明治5年に「民主主義の政府」というものをこんなにもわかっていた諭吉恐るべし。そして日本に本当の近代が来ることはあるのだろうか…。

  • 橋本 治: 国家を考えてみよう (ちくまプリマー新書)

    橋本 治: 国家を考えてみよう (ちくまプリマー新書)
    「国(國)」という漢字の成り立ちから始まって最後には「国家主義」の危うさ、憲法の話へと。さすがの橋本さん、すらすら読めるけど中身はめっちゃ濃い! 初めて投票する18歳はもちろん、大人も必読。国家は指導者や権力者のものではなく「我々国民のもの」です。

  • 市東亮子: やじきた学園道中記F 1 (プリンセスコミックス)

    市東亮子: やじきた学園道中記F 1 (プリンセスコミックス)
    ついに最終章突入!まずはアラハバキ編。いにしえの神様の話は面白いけどこれまでの東北の話をもう一度読み返さないと及川くんはえーっと……って感じ(^^;) 昔の必殺編や箱根編はすぐ思い出せるのに最近のは頭に入ってない。オールスター総出演ということで早速姫御前も登場。姫御前苦手なんだよなぁ。

  • コーネル・ウールリッチ: 喪服のランデヴー (ハヤカワ・ミステリ文庫 ウ 1-1)

    コーネル・ウールリッチ: 喪服のランデヴー (ハヤカワ・ミステリ文庫 ウ 1-1)
    『黒衣の花嫁』の男版。ターゲットが5つというのも同じだけど結末は違う。男が主人公の方がよりおセンチになっているというのがすごい。文体や構成の差は書かれた時期の違いによるところも大きいのでしょうけど。殺す男よりも殺される側により焦点が当たっている気もします。

  • コーネル・ウールリッチ: 黒衣の花嫁 (1983年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

    コーネル・ウールリッチ: 黒衣の花嫁 (1983年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)
    言わずと知れたウールリッチのミステリ長編デビュー作!なのに絶版、近所の図書館にもないなんて。ううう。子どもの時に読んだきりで細部をまったく覚えていなかったんだけど、ううむ、なるほど。謎の女による殺人と検死調書のリフレイン、まるでラヴェルの「ボレロ」のように淡々と、けれど少しずつクライマックスへ――破滅に向けて盛り上がっていく。一気に読んでしまいました。