こないだの土曜日、クリスマスイブの夜に実写版『妖怪人間ベム』最終回があって。
って書いてから、10日ぐらい経っちゃいました(汗)。
だって年末に入っちゃったんだもーん。お正月になっちゃったんだもーん(>_<)
ものすごい今更感ですが、せっかくなので続き書きます。
感動の最終回の翌日、サントラが届きました。

なんとCDプレゼントに当選♪
どうせ当たらないだろうと思って応募したことなんか忘れていたんだけど、出してみるもんだなぁ。
2011年の運の使い納め?(笑)
こういうプレゼント、ほとんど当たったことないんだけど、だいぶ前に日経パソコンのプレゼントで実はベロ君フィギュアを当てたことがあり。

もしかして妖怪人間とは相性がいいのかしらん。ドラマのDVDも応募しといたけどもしかしてこれも当たる!?(ないない)
なんで日経パソコンでベロ君が当たるか不思議だと思いますが、アニメのDVD発売か何かで……。あ、日経パソコンじゃなくてWinPCだったかもしれない。
それはそうと、ドラマを見ていてその音楽もいいなぁと思っていたので、思いがけずサントラを手にできて嬉しい♪
あの独特の音、ノコギリの音だったのですねぇ。「悲しみ1」や「異形の愛1」で奏でられるなんともいえないせつなさ、ノコギリの音がこんなに美しいなんて……。
一転「逃げる」や「妖怪人間ベムのテーマ」ではJazzyな雰囲気、とても格好いい。
作曲者でありノコギリ演奏者であるサキタハジメさん、ベムの音楽を依頼された時にある音が降りてきて、全曲揃った後で実はそれがアニメ版ベムのテーマの一節だと気づかれたそうで。
「こんなんがあるから、音楽はたまらなくオモシロい!!」
いや、それってほとんどこじつけでは(^^;)
でもそーゆーこじつけ、好きです。そこに必然を感じ取れる人♪
で。
実写版『妖怪人間ベム』。前にも書きましたが、予想を覆すいい出来でしたねぇ。
柄本明扮する「謎の男」は博士本人ではなく、ベム達から分かれた「悪」の意識。
「悪」というか、あれは「欲」だったのかな。博士が研究半ばで突然死んでしまった時、「生まれたい。生きたい!」という「欲」がベム達の原細胞から分離して、博士の体の中に入った。
「生きたい」という「欲望」は、決して悪いものではないのに、彼は「悪」で、残ったベム達は「善」だけを持っていた。
「人間になりたい」という「欲」をベム達も持っていたけど、「強烈さ」「他を押しのけてまで我欲を通す」という意味では、ずっと弱い「欲」だったのかな。
人間は善悪二つを併せ持つものだから、「善」だけのベム達は決して人間にはなれない。「悪」である彼を受け入れ、一つにならなければ……。
「悪」の細胞(?)が溶け込んだ涙が皮膚を人間化させる、という演出から「そーゆーことなのかな」と思ってはいたけど、「悪がないと人間になれない」って、それを人間である私たちが描いてしまうって、考えたら人間ってすごいよね。
私たちの中には「悪」もある。でも――、っていう。
でも乗り越えていこうとするのが人間だ、みたいなことをベムが言ってたっけ。
体を張って人間達を守っても、「化け物!」と忌避される彼ら。
コンサート会場での変身、哀しかったなぁ。
「それでも投げ出さないでくれ、人間であることを」
彼らに守ってもらう資格なんて、ないのに……。
「いつまでも、そばにいますから」
結局ベム達は人間になることより、「今のまま」でいることを選ぶ。
「善」だけの彼らは、「悪」をその身に受け入れることができなくて。
……っていうか、彼らは「彼ら自身」であることを選択したんだよね。そもそも彼らの本当の願いは「人間になりたい」じゃなくて「人間に受け入れられたい」だったんだろうし。
もちろん妖怪の姿は嫌いだったかもしれないし、妖怪人間のままだと親しくなった人間達が老いて死んでいくのを何度も何度も繰り返し看取らなくちゃならないけど、でも「人間社会」に受け入れられるというのが何より強い願いだったろうと。
「あるがままの自分を受け入れてほしい」
それって誰もが持つ願いだろう。
何かになりたい、変わりたい、今の自分は嫌だ。でも、今のダメな自分をそのまま受け入れてもらえるなら……。
向上心が全然ないのもマズいけれども、「今の自分ではない別の何か」にならなければ愛してもらえないっていうのはしんどい。
ベム達が最終的に「妖怪人間のまま人間たちを守る」という生き方を選択できたのは、「妖怪人間のまま」でも受け入れてくれた夏目さんがいたからだろう。
夏目さんやその家族。緒方家の人々との交流があったから、その暖かい記憶があるから、これからの永い永い、果てしなく続く未来を「妖怪人間」という異質な存在のまま生きていくことができるんだ。
そして。
3人いる、っていうのが大きいよね。
名前のない謎の男、「悪」の意識はひとりぼっちだった。世界にただ一人。仲間と呼べるはずの、兄弟であるはずのベム達は彼を受け入れてくれない。
彼が「人間とは悪を持つものだ」ということをベム達に知らしめようとしていたのは、「だから僕を嫌わないでくれ。僕を仲間に入れてくれ」っていう愛情表現だったはず。
誰に名前を呼ばれることもない、その存在を知るものすらない。
「私も人間になりたい。ちゃんとした存在になりたい」
可哀想だったよね……彼。
もしもベムも一人で、ベラやベロがいなかったら。たとえ「善」だけで悪いことなんてしようと思ってもできなかったとしても、ひたすら自分の存在に苦悩するだけで、自殺もできない本当に暗くてつらくて哀しい人生だったんじゃないか。
もしも一人だったら、「悪」を受け入れて人間になるという誘惑に負けていたかもしれない。
……それを「誘惑」と言っていいのか、人間になるのを「悪いこと」だと認識するのも変な話だとは思うけど。
勝手な人間は、彼らに彼らのままでいてほしいと思うの。「化け物」と怖れながらも、不老不死の肉体とその「善き心」に憧れるから。
「悪」の片割れを殺してしまったことで彼らは「人間になる」という夢は捨ててしまったわけだけれども……それでもいつか、「人間社会に受け入れられる」という希望は持っているはずだよね。
覚悟を決めても、やっぱり葛藤しながら、時に自分の存在を恨み、人間たちに愛想を尽かしながら、彼らは――。
完全に愛想尽かしされないように、人間もちゃんと生きていかないとな。
善だけではない。でも悪だけでもなれないもの。
「それでも投げ出さないでくれ、人間であることを」
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