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2011年5月

2011年5月29日 (日)

『オブローモフ』上巻/ゴンチャロフ

断崖』『平凡物語』と読み進んできたゴンチャロフさんの作品、いよいよ『オブローモフ』に突入です。

上巻が絶版状態で手に入らないため(中・下巻は入手可能)、やむなく図書館で借りてきました。1976年改版第1刷。ページの黄ばみがなんともいい感じです。カバーなしの岩波文庫、しかも古くて黄ばんでるのを部屋の隅で読んでるとものすごく「文学少女」な気がして、うっとりします(笑)。

冗談はさておき。

主人公イリヤー・イリッチ・オブローモフ君がいわゆる「ひきこもり」ということは承知していたのですが。

いや、ホントすごいです。

ずっと寝てるんだもん。寝台に寝そべって、「もう起きなきゃ」って言いながら全然起きない。「あ、もう10時か」「大変だ、11時じゃないか」「あれ、お昼になっちまったぞ、何か食べるもの持ってこい」みたいな。

お客さんが来ても寝台で応対。

体は起こすけど、顔も洗ってなきゃ着替えもしてないよね。

まぁ客の「友達」の方もわかってるみたいだからいいんだけどさ。

一応貴族(領地持ち)のお坊ちゃんで、今はザハールという下男とともにペテルブルクのアパートで暮らしている。部屋は埃だらけで「もっとちゃんと掃除しろ!」とオブローモフはザハールを叱るのだけど、ザハールは「旦那様が四六時中寝てるんだもん、掃除なんかできっこないじゃないですか。1日どっか出かけててくださいよ、そしたらその間にしっかり掃除しておきますから」と答える。

ザハールはザハールでそうそうマメな働き者でもないから、果たして旦那様がずっと寝ていることだけが「掃除をしない理由」なのかどうか怪しいのだけど、でも理屈としては確かに旦那様が寝ているそばで箒やら「はたき」やら雑巾やらは使いにくいよね。

で、オブローモフは「1日出かける」なんて考えられないし、ちょっと他の部屋へ移っておく、さえもがおっくうなようで、結局部屋はろくに掃除されないまま……。

そして訪ねてきた友達が毎日あちこち駆け回って、これからこの後も10カ所ほど回らなくちゃと言って帰っていくと、「1日に10カ所もだって!可哀想に!」と思うのだ。

彼は仰向けにくるりとひっくり返って、自分はそんなくだらぬ望みや考えを持っていないから、あくせくと苦労することもなく、人間としての品位と安静を保ったまま寝そべっていられるのだと、心うれしく結論をくだすのであった。 (上巻p45-46)

って、おーい(笑)。

いや確かに、あくせくしないでいいように、楽できるようにと人間は世の中を進めてきたはずだけれども。それで暮らしていけるなら万々歳じゃないか、とは思うけど。

でも。

日がな一日寝ているばかりのオブローモフを見てると落ち着かない、「あらあら」という気分になるのは何故なのかしら。

「人間としての品位と安静」って、いったい何?

オブローモフは領地持ちで、働かなくても領地からの収入がある。でもその収入も必ずしも潤沢というわけではなく、管理を任されている百姓頭から「不作その他で今年の収入は減ります」などという手紙が送られてくる。

その手紙はオブローモフにとっては悩みの種だし、「領地の経営」についてちゃんと考え、改革していかなくちゃ、とオブローモフはずっと思ってはいる。

思ってはいるんだけど、実際には彼は領地を自分の目で見ようともしないし、改革案を考えてるうちに「素晴らしく経営されて悩みもなく妻や子どもに囲まれ幸せに暮らしている未来」まで一足飛びに夢想してそのまんまおやすみさーい。

オブローモフぇ……。

今でこそ「引きこもって寝台から動かない」オブローモフ(ちなみに年は30くらい)だけれども、ペテルブルクへ出てきた頃はもちろん役所勤めもしていた。

『平凡物語』で田舎の領地から出てきた主人公がびっくりしたように、オブローモフもまた「都会」へ出てきて驚いた。20年近く田舎で家庭的な、のんびりした生活を送り、「仕事」といえば父がしていたような「収入や支出をゆっくり閑と帳面に記入する」ことぐらいしか想像できなかった彼。

彼の考えでは、同じところに勤めている官吏同士は一つの親密な家族を形成し、お互いの安静と満足ということばかり寝ても醒めても考えているものであり、したがって役所通いも必ずしも毎日厳守しなければならぬ義務的な習慣ではなく、冬の霙や夏の炎天や、それどころかたんに気が向かないということだけでも、常に充分かつ正当な欠勤の口実となるはずなのであった。 (上巻P119-120)

いや、わかる。わかるけど(笑)。

うちの弟も「雨降ったら学校休み」とか言ってたし(爆)。

ところが、あにはからんや、健康な官吏が勤めを怠るためには、少なくとも地震かなにか無くてはならないということが分かったとき、彼の落胆は並大抵でなかった。しかも、わざと当てつけたように、地震なんてものはペテルブルクにはないのであった。 (上巻P120)

日本には地震あるけど、まぁめったに休みになんかならないよ。それどころかお役所だったらいっそう忙しくなるんだよ。今度の東北大震災なんて、被災地の公務員の方々は自分も被災してるのに寝ずに働いてらっしゃるよ。

まぁ、「人間としての品位と安静」的に、大雨洪水警報が出ても勤めに行くのが正しいのか、ラッシュでぎゅう詰めの中、片道1時間以上かけて勤めに出るのが正しいのか……色々考えさせられはするのだけど。

結局オブローモフはちょっとした失敗をしたことがきっかけで役所勤めをやめてしまう。

社交界も彼を引き留められはしなかった。彼は家から出なくなり、そして家で何をしているのかというと。

何もしていない。

読書、執筆、勉強というようなものは彼の気を引かなかった。

『いったい生活らしい生活はいつするというのだろう?』こう彼はまたしても自問するのであった。『それにまあいつになったらこれだけの知識のストックを活用するのだ?その大部分はまだ何一つ実生活に必要がないじゃないか。たとえば経済学にしても、代数にしても、幾何にしても、こんなものオブローモフカ村では何ともしようがありゃしない!』 (上巻P130)

オブローモフカ村(彼の領地)でののどかすぎる暮らしは「オブローモフの夢」という章で詳述されるのだけれども、なるほどあんな生活を送り、父母に溺愛され、靴下一つ自分では履かせてもらえない、子どもらしく外に駆けていくこともできない(「坊ちゃんが怪我をしたらどうするの!」)、そんな「籠の鳥」な育ち方をしてきたのであれば、今彼がこんなふうに「引きこもり」になってしまっているのもむべなるかな、という気がしてしまう。

オブローモフカ村での『生活らしい生活』というのは要するに「食っちゃ寝食っちゃ寝」、合間に親戚知人とのどうでもいいおしゃべり、なのだもの。

そして本当に、それこそずっと人間が夢見てきた「楽な暮らし」なんだろうもの。

もちろんそれは「貴族」という制度あってのことで、彼らの代わりに「農奴」が働いてくれているわけなんだけれども……。

でもたとえばオブローモフ家で旦那様方に仕えている下男下女たちは、ゼータクはできない代わり、動いていなきゃならない代わり、ある意味「生活は安定」していて、「自分達はそーゆーもの」と疑いも持たず、けっこう「幸せ」なのではないかと思ったりもするのだ。

格差とか階級とか、そりゃないにこしたことはないけど、すべての人間が同じくらいに金持ちになるのはおそらく不可能な以上、ある「枠組み」の中でその成員達がのどかに日々を過ごせているのなら、それは「悪」とは言い切れないのじゃないか。

オブローモフの下男ザハールは旦那様の引きこもりっぷりに困っているし、色々悪態もつくし、旦那様のお金をくすねたりもするけど、それでもやっぱり旦那様という「存在」そのものに対する尊敬の念、忠義の念は彼のうちにしっかりと根を下ろしていて、「その下男でない自分」などというのは想像もつかない。

この辺のゴンチャロフさんの描写、人間観察は素晴らしい。

そう、主人公がずっと寝っ転がってて特に何か事件が起こるでもないのに不思議と退屈せず読めちゃうんだもん、すごいよ、ゴンチャロフさん。

で。

オブローモフには「百姓頭からの手紙」の他にもう一つ難題が降りかかっている。それは「アパートからの立ち退き」。大家さんから「アパートをリフォームしたいから立ち退いてちょーだい」と言われているのだが、引きこもりで変化を嫌うオブローモフにとっては「引っ越しだって!冗談じゃない!!!」というわけで、ザハールが「どう返事したらいいですか?」と言うたび「その話はするな!」と怒り出す。

「その話はするな」ったって、ザハールはザハールで「立ち退くように」と大家さんから催促されてるわけで、どうしようもないんだけども。

だからザハールはつい「ほかの人たちだって別にこちとらに劣るわけでもねえのに、みんな引っ越しているもんだで、わしらだってできるだべと思って…」(上巻P183)と言ってしまう。

この「ほかの人たち」という言葉にオブローモフは烈火の如く怒り出す。「おれはおまえにとって『ほかの人間』と同じことなんだな!」

いや、だから旦那様、そーゆーことじゃのうて…。

この後オブローモフは憐れなザハールに向かって自分と「ほかの人達」がいかに違うか、いかにおまえ(ザハール)は主人を侮辱したか、ということを懇々とわめくのであるが。

曰く、

おれは生まれてこの方、一度も自分で自分の足に靴下をはめたことがないんだぞ、有り難いことにな!(中略)おれが華奢に育てられてきた人間で、寒いひもじい目もしたことがなく、何一つ不自由を知らず、食うために稼いだこともないし、総じて下等な仕事は一切しないってことをさ。それなのに、どうしておまえはよくもよくもこのおれを、ほかの連中と引き較べるなんて真似ができたんだ? (上巻P192)

……自分で靴下履いたことないとか自慢するなよぉ(´・ω・`)

まぁでもそーなんだ。確かに彼は「その通り」に育てられてしまって、そーゆー育ち方をしたのは何も彼のせいじゃないんだ。

そしてさんざんザハールを怒鳴りつけたあと、彼自身「どうしておれはこうなんだろう、どうしてほかの者達みたいにできないんだろう」と羞恥と悔恨と葛藤を覚えたりもするのだ。

「ほかの者たちと自分が違っている」ことは彼自身じゅうじゅう承知しているから、だからこそザハールが不用意に言った「ほかの人達にできることがなぜできないのだ?」という言葉が激しく彼の胸に突き刺さる。

葛藤はまったく長続きしないし、「ちょっとでも頑張ってみよう」「(たとえば)思い切って引っ越しを考えてみよう」などというふうにはちっとも行かないのだけど(いびきかいて寝ちゃうんだもん、オブローモフぇ)。

『平凡物語』でも「都会になんか出てこないで、ずっと田舎にいれば良かったんだ」ってアレクサンドルは言われちゃうけど、実際オブローモフもずっと田舎にいたらそれなりに“普通に”生きていけたかもしれない。

オブローモフには何かと世話をしたり忠告をしてくれる“叔父さん”はいないし、「故郷のお母さんはどう思うか」というふうに振り返る父母ももういない(彼がペテルブルクに出てきてわりとすぐに亡くなってしまったもよう)。

もしも彼を溺愛し甘やかした「お母さん」が生きていたら、彼も重い腰を上げて「故郷への大旅行」を決行したかもしれないし、「このままじゃダメだ」と自分を叱咤できたかもしれない。自分以外に誰か、安心させたり、面倒を見たりしなきゃいけない相手がいたら。

上巻は、唯一オブローモフを「外」に連れ出すことができるという“親友”シュトルツがやってきたところで終わる。

さてこの後オブローモフは「外」に出るのだろうか?

2011年5月18日 (水)

『薄妃の恋―僕僕先生』/仁木英之

僕僕先生』第2弾。

「そんなに好きでもない」とか言いながらちゃんと2冊目も買って(文庫になってたから)ちゃんと読みました。私って律儀。

いや、でも2冊目は面白かった。2冊目の方が面白かった。

前作の最後、5年ぶりに僕僕先生が王弁のもとへ帰ってきて、また二人で旅に出る。その旅の様子を6つのエピソードで描く連作短編。

先生と王弁の二人のキャラクター、関係性をもう読者も了解しているから、そこの説明によけいな労力をさくことなく、自由に、自在に、作者が世界の中で遊べている感じ。

かの川原泉さんが「番外編を書くために『笑うミカエル』本編を描いた」とかいう話を聞いたことがあるのだけど(真偽のほどは不明)、それってすごくよくわかるんだよね。

本当に描きたいことを描くためには、まずその設定・世界観を読者に納得してもらうためにめんどくさい「前段」を提示しなきゃならない。

もちろん『笑うミカエル』本編も、『僕僕先生』1作目も、ちゃんと面白く読めるようにできていて、さすがにプロの作家さんは違うな、なんだけど、その「前段」を読者に了解してもらった後の「さぁ、こっからが本番」という。

仁木先生がそのつもりで1作目を書かれたのかどうか、ホントのところは知らないけれども、古代中国を舞台に仙人や神様が登場するちょっと不思議な世界、人間模様がうまく、読みやすく、描かれています。

先生と王弁の二人がいなければ成り立たない物語だけど、決して二人がでしゃばらないというか、ある意味狂言回しのような立ち位置で、1作目で王弁の恋心がウザかった私には読みやすい(笑)。

今作でもしょっちゅう「恋心」は出てくるんだけど、でもメインはそれぞれのエピソードでゲストキャラが抱える問題を解決する、ってことだし。

まぁ私もいい加減慣れてきたけどね、二人のいちゃいちゃぶりには(笑)。

雷神の子と人間の子どもとの交流を描いた一篇、そして仇討ちのために女房を差し出す男の話が特に面白かったかなー。記憶喪失の男を治してくれ、ってヤツも「ああ、人間ってねぇ」って思った。最終的にどう決着したのかまで描かないところがいいよね。

3作目の文庫がもうすぐ(6月)刊行されるそうなので……しょうがない、買うかな。

2011年5月15日 (日)

橋本治さんの国芳論

先日「歌川国芳展」を見に行って、大変素晴らしかったので、もう一度橋本治さんの国芳論が読みたくなり、『ひらがな日本美術史第6巻』を借りてきました。

『ひらがな日本美術史』、できれば買って手元に置いておきたいんですけど、いかんせんそれだけのお金と置き場が…。

6巻の中で、全14章のうち国芳については3章が割かれています。北斎も3章あるんだけど、

もちろん、私は昔から国芳が嫌いではないのだが、こんなに続くほど好きだとも思っていなかった。ところが、このシリーズで国芳を取り上げてみると、つくづく国芳が好きなのである。見ていると、「つくづく好きだなぁ」と思わせる何かがあって、それが「とても大事なもの」のように思われたのである。私はその「とても大事なもの」が、つくづく好きなのである。 (P103)

うふふ。いいなぁ。しばらく橋本さんの文章から離れていただけに、こういうとこ読むと顔がにまにましてしまいます。

私が国芳の絵の中に見て、「つくづく好きだなぁ」と思うのがなんなのかと言うと、「江戸の町人文化の精神<スピリット>」である。「精神」と書いて「スピリット」と訓(よ)む。それは、「心意気」でもあって、「エッセンス」でもあるようなものである。 (P106)

うん、なんか、わかる。実際に生で作品を見て、その自由闊達さというか、「職人魂」というのかな。ゆるぎない自信とセンスと、あまりにも幅広いその画業と。

「時代に愛されたんだなぁ」って思ったから。

橋本さんも

彼に「不安」もなく「苦悩」もなく、その号のごとく「一勇斎」でありえたのは、彼が、完全に彼の生きた時代―自分の生きるべき時代環境とシンクロしていたからだろう。 (P116)

とおっしゃっている。

浮世絵は当時の大衆=町人たちの「娯楽」で、読み本の挿絵から団扇の図案まで描いちゃう国芳は「芸術家」ではなく「腕に覚えの職人」で、時代は彼の「腕」を求め、認め、彼は彼でその時代=社会を確固たる基盤として存分に腕を振るった。

精力的で多岐に渡る、そしておかしみのある作品も多い彼の見事な浮世絵を見てると、ほんと「幸せな職人人生だなぁ」って思う。

彼を「幸せな職人」にしていた基盤、「江戸の町人文化のスピリット」。

国芳の中で躍動していた「それ」は破綻せずに幸福なままだったけれど、時代=社会の方は「それ」を捕まえそこね、「黒船」でパニックになって終わる。「西洋のものが偉い、すごい」と回れ右して、あんなにも隆盛を極め、一つの「美」の頂点を極めたとも言える浮世絵をばっさりと切って捨てる。

「すごい」と憧れた「西洋」が「すごい!」とコレクションするほどの「美」だったのにね。

国芳について語った三つの章を締めるのは

国芳の絵の中で、それは終わらない。しかし、国芳を生かした時代は、それを捉えそこねた。だから終わった。そう思って国芳の絵を見て、しみじみ「もったいなことしたなァ」と思うのである。 (P116)

という言葉。

「黒船」が来なくても、「それ」を捉えそこねていた江戸時代は終わらざるをえなかったのだろう。「それ」は「支配階級=武士」のものではなかったし、「それ」を抱えてあれだけの「文化」を花開かせた庶民は江戸にフランス革命を起こしはしなかった。

「黒船」が来なければ、あんなにも極端な「西洋への回れ右」はなかったのかもしれないけど、でも「浮世絵」があのまま存続したという保証もないよなぁ。「庶民の娯楽」=サブカルチャーだった浮世絵は、いわゆる「権威」からは低く見られていて、江戸の次にどんな「支配階級」が出現しても、「保護」はされなかった気がする。

もちろんそれだからこその「浮世絵」なんだろうし、その良さ・表現というのは現代のマンガに繋がっているんだろう。

国芳の作品で橋本さんが最初に取り上げているのが「宮本武蔵の鯨退治」。「タイトルを書くだけで興奮する作品」という惚れ込みぶり。うん、いいよねぇ、ほんと力強くすっきりとして。

国芳は「武者絵」というジャンルを創った人、と橋本さんがおっしゃっているんだけど、「武者絵」って要するに「フィクション」の「キャラクターイラスト」なんだよね。

たとえば写楽の浮世絵は「役者絵」であり「芝居絵」。それまで「浮世絵」には美人を描く「美人画」と歌舞伎を描く「役者絵」」「芝居絵」しかなかったらしい。

「役者絵」が役者に似てたかどうかはともかく、実在の人物やお芝居をモデルにして描くことには違いなく。

画家が勝手にドラマの場面を作るわけではなかったらしい。

で、北斎が「読本挿絵」の中で「文章には書かれてないのに勝手にもっと派手なドラマを描いてしまう」という「画家による物語=フィクションの提示」を実現して。

しかし「読本挿絵」の世界では、キャラクターだけが独自に活躍して、「その役に扮する役者はいない」。それを描く画家が、存分にイマジネーションを駆使して、描かれるべきキャラクターを造形してもいいのである。画家がキャラクターを造形することによって、画面に自由にドラマが表現できる。 (P89)

読本という「文章で語られる物語」という補助道具なしに、絵だけで自由にキャラクターを作っちゃってもいいんじゃないか、それに気づいたのが国芳だったと。

この間NHK-BSでやってた写楽の特集見てて、「大首絵は確かに斬新で面白いけど、でも私は圧倒的に国芳の方が好きだな」って思った。写楽が残したのはほとんどすべて「役者絵」。国芳の方が「フィクション」で「キャラクター」で、嘘八百のファンタジーをこよなく愛する私にとっては国芳の武者絵の方が断然好きに決まっている。

「虚構としてのリアリティ」「ホントだけど、ホントではない」

こんな言葉が、「宮本武蔵の鯨退治」を語る橋本さんの口(というか筆)からこぼれる。

なんと私好みの世界なのでしょう。そうそう、それ!と言いたくなる。

ウソでもいい。そういうものがあると、ワクワクする人はワクワクするのである。そうやって、成長の糧とするのである。だから、それはホントに見えなきゃいけないのである。そういう伝統は、幕末国芳の《宮本武蔵の鯨退治》から始まって、少年雑誌の口絵になり、少女雑誌の口絵になり、昭和の戦後の男の子にとっては「小松崎茂先生の空想科学未来の絵」になり、女の子にとっては「高橋真琴先生のバレエの絵」になって、最後は「プラモデルの箱の絵」になるのである。そういう、人格形成(ビルドゥング)の糧となる口絵が「アイドルのポスター」に変わった時、日本の未来はなくなるのである。 (P81)

わかるなぁ。

虚構とか「物語」というのは必要なものなんだ。

「アイドル」だって、その昔は「物語」を生きているもので、ジュリーなんかホントに「ファンタジー」だったんだけども。

「相馬の古内裏」や「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」の紹介があって、最後は「荷宝蔵壁のむだ書」。本当にこの、「すべてを落書きとして描く」スタイリッシュさはたまらない。

(昔の)日本人ってセンスいいよなぁ。

本当に、本当に、もったいない。

近代なんて、来なくてよかったのに。

『ひらがな日本美術史』第6巻はこんな言葉で終わる。

「近代以前の日本美術」のすごさは、必要な「へん」をきちんと把握して、それをちゃんと位置付けていたことである。それを可能にするメルティング・ポットを、近代以後の日本人は壊してしまった。惜しいを通り越して、愚かだと思う。 (P200)

 

大阪市立美術館での「国芳展」は6月5日までです(あー、もうちょっと近かったらもう1回後期展示も見に行くのになぁ)。

2011年5月12日 (木)

『秘密』第9巻/清水玲子

やっと読みました。

3月2日に買ってあったんだけど、体調があまり芳しくなかったのでこーゆーしんどい話に立ち向かう元気がなく。

9日後には東北大震災が発生して、やっぱりなんか、どうせ読むなら明るいお話が読みたいという感じで。

今の今まで手に取る勇気が出なかった。

ちらっとページをめくったことはあったんだけど、「うわぁ、やっぱりスプラッタだぁ、しかも青木の家族っぽい」ってことで「あかん、もっと精神的にタフな時じゃないと」と閉じちゃった。

これまでの、4巻ぐらいまでのどうしようもないせつなさに比べれば「精神的負荷の質」が違って、泣きまくることもなかったけど、でも薪さんの身に危険が迫って、青木とその家族があんな目に遭って、どう考えても怪しい「帰ってきた亡霊」の人が不気味で、「薪さんのいる世界はまだ、狂っていないんですね?」という青木のセリフが象徴するように、かなりヤバくなってきている。

「死んだ人の脳」、もっと言えば「殺された人の脳」に残る「記憶」、殺された人が見ていた景色を見ることによって捜査する「第九」。

今までだって十分精神的にきつかった。

殺される瞬間の「画」がキツいのはもちろん、犯罪に関わる以外の故人のプライベートまで覗いてしまうこと。様々な「秘密」。

自分が死ぬ時は頭を撃ち抜いて、決して脳を見られてはならないと覚悟を決めている薪さん。

自分の家でさえ安心して眠れない薪さん。

そして今度は犯人がすぐ隣にいるのかもしれないという疑念。

もしかしたら最初から、例の鈴木さん達が亡くなることになった「貝沼事件」すら何かしら仕組まれていたのかもしれないという疑念。

この「誰も信じられない」状態がものすごーいキツいわけだよ。

まぁもちろん薪さん、青木、岡部さんの3人は「信じられる」んだけど。

残りは全部「敵」かもしれないんだもんなー。警察の上の方全部も。

『メロディ』連載ではもう決着がついてるのかもしれないけど、この事件終わったら『秘密』自体終わりじゃないのかな?

薪さん好きだし会えなくなるのは寂しいけど、もういいかげん楽にしてあげたいという気が…。

「第九」が解散したり、薪さんが警察をやめたとしても、過去のたっぷりの「秘密」がある限り薪さんに安らぎは訪れない。

それこそ頭撃ち抜いて死ぬか、完全記憶喪失か、完全精神崩壊かしか……うう、薪さん(涙)。

 

にしても。

鈴木さんの存在感たるや。

雪子さんも薪さんも、鈴木さんの呪縛から逃れられないね。

雪子さんはホントは薪さんが好きで、薪さんの好きな相手を奪うことで欲求を満たしてるのかと思ってたけど、薪さんに会う前から鈴木さんと付き合ってたみたい。

ということはやっぱり青木は雪子さんにとっても「鈴木さんの代わり」なのか。

もちろん青木が青木だからこそ二人とも惹かれていて、鈴木さんは「きっかけ」に過ぎないんだろうけど、青木としては辛いよね。

鈴木さんってどんだけいい男だったんだろ。

まぁ私は岡部さん派ですけどね(笑)。

「第九一、いや警察官一の猛者がおまえの顔色ひとつにびびりまくってるじゃないか」

そう、薪さんを守れるのは警察官一の猛者、岡部さんしかいぬぁいっ!

青木なんか捨てて岡部さんと幸せになりましょう、薪さん!(違っ

 

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2011年5月10日 (火)

『僕僕先生』/仁木英之

タイトルだけは聞いたことがあった『僕僕先生』、近頃シリーズ最新作が出たということでTwitterでその感想など見かけ、「美少女仙人とニートな青年のゆる~いロードムービー(って、映画じゃないけど)」的内容だということを初めて知り。

「あー、それだったら息子ちゃんも読むかな」と思って1冊目の文庫を買ってみた。

最近本を買うときに「息子ちゃんも読みそう」というのがけっこう重要な基準になっております(^^;)

まぁロシア文学はさすがに「読んでみ」とは言わなくて、完全に私の趣味だけど、算数系のヤツとか、フレーヴィアシリーズとかは「親子で楽しめる」を基準に選んでる。

あんなに読書家だった息子ちゃんも10歳過ぎて児童書は卒業、でも大人の本は多すぎて何を読んだらいいかわからない→読むものがない→何も読まない、ということになっていて大変もったいない。なので母は、「これは?」「こんなのどう?」とせっせと彼の好みに合いそうな本を探しては勝手に買ってきて彼の本棚に入れるということをしているのです。

最近では『空想科学読本』シリーズがバカウケしました。

って、これ『僕僕先生』の記事ですよね(笑)。

うーん、それなりに楽しめたんだけど、でも「面白かった!大好き!!!」ってほどじゃないなぁ。

私、もっと血湧き肉躍る方が好きだからなぁ。

引きこもり気味のニートの青年王弁(と言っても舞台は玄宗皇帝の時代なんだけども)が見た目美少女の仙人“僕僕先生”と出逢って、淡い恋心(最後にはしっかりした恋心に育っていた)を抱きつつ仙人の不思議な世界を体感し、先生の方も王弁のことがことのほか気に入っていて、でもやっぱり仙人と普通の人間だし、年の差もすごいし(“僕僕先生”の実年齢は不明だけど、100歳200歳程度で済まないことは確か)、飄々と、師弟以上恋人未満というような。

見た目「美少女」だけど、妖精や魔法使いではなく仙人(仙女?)ということで、「可愛い可愛い」「女の子女の子」した感じじゃなく、凛々しい、ちょっと宝塚っぽい雰囲気の、少年のような少女なのよね、僕僕先生。それがなんとも魅力的ではある。

王弁が彼女にメロメロになるのはよぉくわかるんだけど、でもなんかウザいんだなぁ(笑)。

全体に飄々としたお話の中で、「恋心」はいいアクセントなんだろうけど、なんかめんどくさい。なくていい、って思っちゃう。もう恋愛がダメなのかしら、私。年?(爆)

王弁はガツガツしたところのない素直ないい青年で、クールで少年ぽい僕僕先生とはいい取り合わせ。でも私のタイプじゃない。

うーん、男性が読むと王弁にめちゃめちゃ感情移入できるのかなぁ。僕僕先生に気に入られて、彼女をおんぶしたり、彼女が甘えてきたりするとこの描写がたまんなかったりするのか。

もしも「見た目美少年仙人」と「さして取り柄もない引きこもり気味の女の子」という男女逆パターンのお話だったら面白かっただろうか。

だいぶ違う話になりそうな気はする。

「見た目美少年仙人」とコンビを組むなら女の子は気の強いちゃきちゃきした子の方が釣り合い取れる気がする。「女の子」じゃなくてそろそろ適齢期なのに「彼氏いない歴○年」な冴えないOLだったらいい感じになるかなぁ。

飄々というよりいたずらっ子的な美少年仙人に振り回されながらも地味に世話をし、「私なんて取り柄もないし」「若くもないし」といじけつつ惹かれて、でもよく考えたら「見た目が若い」だけで向こうは「5000歳」とかだから全然大丈夫じゃん、みたいな。

あー、そういう話書こうか(笑)。

“僕僕先生”も普段は少女の姿を取っているけど、老爺にでも中年男にでも姿を変えられて、年齢も性別も、実のところわからない。王弁の恋心を知りながら“僕僕先生”は「本当は白髪のじーちゃんかもしれないけどそれでもいい?」なんて言って盛り上がった王弁の気持ちを萎えさせたりする。

お話終わる頃には王弁は「それでもいい」って思えるほど強くなってるんだけどね。

強く……というか、「美少女の姿でいる“僕僕”が一番“芯”の“僕僕”だ」って感得できたからだろうと思うんだけど。

何万年生きても、肉体が老いなければ精神って若いままでいられるのかな。

もちろん経験の量とともに“子ども”ではいられない、“無邪気なまま”ではいられないだろうけど、記憶もはっきりして体も十分以上に動くのであれば、何万年経っても“精神”はたとえば20代くらいのまま“年を取らない”もんだろうか。

別にそんなの全然この作品のテーマじゃないだろうけど(少なくともこの1冊目では)、仙人にはなれない王弁と僕僕先生では、王弁だけが年を取って、いつかは死んじゃうわけだからなぁ。

それは王弁よりも僕僕先生にとってより辛いことだろうな、きっと。

「この世の中で起きる事で、人間の力で何とかならないものはない」と信じて妖怪や仙人を排除しようとする官吏。「そのような者がいる事で救われる民もいるのだ」とその存在を認める玄宗皇帝。

「人間界なんか捨てちゃえよ」と迫る仙界と、「感情があるからこそ(つまりはバカだからこそ)人間はいいのだ」と思う僕僕先生。

こういうところには惹かれます。

なので「大好きとは言えない」と言いつつ2冊目の文庫も買ってあります(笑)。

……息子ちゃんにはどうかなぁ。あんまりウケない気がするというか、変に王弁に共感されてもビミョーですね。

2011年5月 9日 (月)

『すもうねこ』/はすまる

Twitterでの連載でものすごーく和ませてもらっている『すもうねこ』がついに本になりました!

ねこのお相撲さんが主人公の4コママンガなんですが、「猫ばっかりの相撲」ではありません。人間のお相撲さんの中に忽然と登場した「ねこ初の関取」、それが「すもうねこ」♪(←れっきとした四股名)

なんで猫が関取になれるのか、大銀杏が結えてないけどいいのか、ねこ関ってしゃべってるように見えて実は「声」は出てないのか、色々謎もツッコミどころも多いのだけど、しかし楽しい。可愛い。なごむ。

ねこ関のいる「こたつ川部屋」の他の力士達や、ライバルのだるま山関、人間模様もいいのですよね。

この単行本の後半では「野球賭博」や「暴力団」といった現実の相撲協会を悩ませた問題も取り上げられていて…。「暴力団」のとこはうるっと来ます。

Twitter版にはない相撲用語の解説も入ってますし、「大相撲力士すごろく」もついてます。最後の「あとがき」も……うるうる。

現実の、人間のお相撲さんの世界が混迷を極め、「本場所」がなかなか見られない中、そしてこの先もどうなっていくのか先が見えない中、お相撲好きにはたまらない、ほっこりとお相撲を楽しめる素敵な作品です。

紙でまとめて読めてホントに嬉しい。

息子ちゃんにも義母や義妹にもお勧めして読んでもらいました。みんなくすくす笑いながら楽しんでました。

ぜひ2巻、3巻と続いていきますように。

「すもうねこカルタ」もぜひ商品化してほしい。

ねこ関大好き(*^_^*)

姉妹サイト第112号更新

何か月ぶりでしょうか、姉妹サイト『M MAGAZINE』を更新いたしました。

デスクトップPC壊れたままほったらかしでノートPCには透過GIFを作れるペイントソフトが入っていないため、「vol.112」のところが不格好で大層気に入らないのですが、まぁ問題はそんなとこより内容だろうということで、まぁ内容もいつも通りなんですけど、はい。

ひなたぼっこ 第83回『もう中学生』

  いよいよ中学生になっちまいました、息子ちゃん。さすがに書くこといっぱいありました。

アマ小説家はつらいよ 番外編『3.11で考えたうだうだ』

  本当にまとまりなく、オチもなく、ただうだうだと書き連ねました。この時期に自分はどんなふうに感じてたのかな、という記録として。

 

よろしければご覧ください。

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ひゅうがの本棚

  • 坂口 安吾: 坂口安吾全集〈11〉 (ちくま文庫)
    『不連続殺人事件』『復員殺人事件』を同時に読みたい方はこちらをどうぞ!『安吾捕物帖』以外の推理モノがほぼ網羅されています。長編より短編の方が好みでした。特に『南京虫殺人事件』がお気に入り♪
  • トーマス・マン: トーニオ・クレーガー 他一篇 (河出文庫)

    トーマス・マン: トーニオ・クレーガー 他一篇 (河出文庫)
    「永遠の青春小説」として有名な本書。確かにとてもくすぐったかった。原書の美しい挿絵が再現され、新訳で読みやすい本書。初めてトーマス・マンを手に取る方にはお勧めです。

  • レイ・ブラッドベリ: ウは宇宙船のウ【新版】 (創元SF文庫)

    レイ・ブラッドベリ: ウは宇宙船のウ【新版】 (創元SF文庫)
    『霜と炎』は面白かったけど、全体としてはそんなに好きな感じではありませんでした。もっと幼い頃に読まなきゃダメな作品集な気がします(^^;)

  • 坂口 安吾: 日本探偵小説全集 (10) (創元推理文庫 (400‐10))

    坂口 安吾: 日本探偵小説全集 (10) (創元推理文庫 (400‐10))
    安吾の自腹による懸賞金がかかった作品『不連続殺人事件』。読者を挑発する安吾の「附記」が興味深かったです。作品としては短編の『選挙殺人事件』『心霊殺人事件』の方が好み。『明治開化安吾捕物帖』も9編が収められています。

  • マリオ・リヴィオ: 黄金比はすべてを美しくするか?―最も謎めいた「比率」をめぐる数学物語  (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)

    マリオ・リヴィオ: 黄金比はすべてを美しくするか?―最も謎めいた「比率」をめぐる数学物語  (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)
    ちょっとずつしか読み進められなかったせいか、頭に入らなかった感じ(^^;) フィボナッチ数の不思議、そして最後のフラクタル図形の話が面白かった。

  • : SPEC/BoosterBook

    SPEC/BoosterBook
    公開3日目にして劇場版のパンフレットが売り切れていたので、こちらを買ってみました。監督さんのインタビュー等面白いのですが、「詳しくは映画のパンフレットで」となってるところが数カ所あって大変哀しい。ううう。でも「翔」の出演者北村一輝さん・谷村美月さんのインタビューはこれでしか読めません(たぶん)。SPECファンとしては買って損はありませんでした♪

  • 天野 明: 家庭教師ヒットマンREBORN! 38

    天野 明: 家庭教師ヒットマンREBORN! 38
    白蘭ちゃんの意外な健気さにホロリとさせられた巻。ちびフランもいいわ~♪ アルコバレーノ達が次々に「元の姿」を顕すけど、それよりやっぱり白蘭ちゃんに心惹かれた1冊でした。

  • 橋本 治: 双調平家物語 (9)

    橋本 治: 双調平家物語 (9)
    死してなお無惨な頼長。そして「真の勝者」となったはずの信西もまた、その勝利を長くは手にしていられない。「学問」を結局は重要視しない世の中、決して平安貴族の話だけではないような気がする。

  • 北条 司: エンジェル・ハート2ndシーズン 3

    北条 司: エンジェル・ハート2ndシーズン 3
    いつもながら鼻の奥がツンとなるお話。「家族」にこだわったストーリー、いいなぁ。本当に大人のための素敵なマンガ(エロい意味じゃないよ!) ケータイで久々に香の声も聞けた。しかしカメ子の真意は本当にあれだけだったの?

  • モーリス=ルブラン: 奇岩城 (アルセーヌ・ルパン全集 (4))

    モーリス=ルブラン: 奇岩城 (アルセーヌ・ルパン全集 (4))
    集英社文庫でも読みましたが、全集版でもう一度。やっぱりこちらの方が読みやすい訳のような。でも何ですね、これ、最後がちょっと悲劇すぎますよね。ルパン物の代表作ですけど、全集全部読み終わってみるとあまり好きな作品ではないです。

  • はすまる: すもうねこ もふり寄り

    はすまる: すもうねこ もふり寄り
    ねこの関取「すもうねこ」、堂々書籍化第2弾♪ 昨年春場所が中止になったことや技量審査場所など、相撲界のリアルな今を織り込みつつ、ほっこり和ませてくれます。相撲なんて興味ない、って人にこそ読んでいただきたいです。

  • 蛇蔵: 日本人の知らない日本語3  祝!卒業編

    蛇蔵: 日本人の知らない日本語3  祝!卒業編
    3冊目ともなればマンネリで飽きちゃうか、と思いきやこれがやっぱり面白い。お馴染みの学生さん達が卒業してしまうの寂しいわぁ。「言葉」だけではなくそれぞれの「文化」の違いが面白いです。