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2012年2月

2012年2月26日 (日)

『双調平家物語』第8巻/橋本治~その2・頼長無惨~

保元の乱前夜、崇徳院のもとには61歳の源為義とその息子達(義朝を除く)がいました。前の関白、藤原忠実に仕えていた為義は、頼長の代になってやっと「判官」の地位を得ていました。

為義の実父、源義親は乱を起こして討たれているのですが、その追討を命じられたのは清盛の祖父、平正盛だったりしました。平氏と源氏、色々因縁があるんですね。

為義の祖父である源義家は源氏の棟梁として名を馳せた武人ですが、この義家の母親は東国の桓武平氏の裔、平直方の娘だったりします。清盛の伊勢平氏と平直方の祖は一緒ですから、義朝と清盛はすごく遠いけど親戚なんですね。

義朝の子である頼朝が幕府を開く鎌倉も、もとは平直方の所領だったらしく。婿である義家を見込んだ直方が譲ったとかなんとか。

ホントになんという因縁なのでしょうか。

崇徳院の側には為義、そして後白河帝の側には義朝。

お主上、忠通、信西の前に控えるのは義朝と清盛。清盛の父、忠盛は3年前に死去しています。

都の「貴族社会」で揉まれてきた清盛が平然と落ち着いている一方、3年前まで東国でぶいぶい言わしていた義朝は「戦じゃ!腕の見せ所じゃ!」と合戦の予感に気を逸らせます。

宣旨を戴き朝敵に向かう。戦いそのものを「私闘」と断ぜられ続けて来た関東武者にとって、この戦闘は輝ける八幡太郎義家の栄光を呼び戻す、聖戦に等しいものともなっていた。 (P164)

そーゆーものではないんだがなぁ、義朝。これ、ただの兄弟喧嘩だし…。

合戦に臨む貴族、源氏、平氏。三者三様のそのあり方、立ち位置の違いが面白いです。

大河ドラマでは「清盛がいたから武士があるんだ!」みたいに頼朝がナレーションしてますが、清盛はあくまでも「都の貴族」なんですよねぇ。少なくとも、この頃はそうです。

中井貴一扮する清盛の父、平忠盛はやたらかっこいいですが、実際の忠盛もなかなか魅力的な人物だったらしく。

都に育った忠盛には、物に怖じぬ武者の胆力と、物の文目を判じる都人の理性とが共に備わっていた。忠盛は、「歌人」でさえもあったのである。 (P167)

忠盛は18歳で従五位下、璋子の政所別当だったそうです。清盛12歳の夏に瀬戸内へ海賊退治。その間に白河院が崩御。

37歳で忠盛はついに殿上人に(清盛はその時15歳)。大河ドラマでも描かれた通り貴族達のパワハラに遭い、「伊勢平氏はすが目」と揶揄され「闇討ちの計画」までありましたが、機転と理性でこれを切り抜けたと。忠盛パパ、ほんまかっこええなぁ♪

宮中の戦いの第一は、「争わぬこと」である。防ぐ盾は「忍耐」。攻める矢は、「矜りを捨てぬ理性」である。「瀬戸内に海賊を追う方がどれほど楽か」と、父の忠盛は言っていた。清盛は、その言を聞いて育った。 (P182)

この合戦の意味と本質を、清盛はよく知っていた。この合戦は、兄弟の争いである。 (P183)

争う者は争う。戦いの末に、勝者と敗者は生まれる。肝要なのは、敗者とならぬこと――ただそればかり。 (P183)

大河では「アホ!」と義朝に罵られていた清盛ですが、『双調平家』のこの時点では清盛の方が義朝よりよほど「上手(うわて)」です。

「やってしかるべきことは、我からやらず、人にやらせる」――それが都の習いだった。義朝はなにも知らない。義朝が知るのはただ一つ。敵を攻め討つことばかりだった。 (P218)

膠着状態にいらだち、「勝つなら今この時、夜討ちだ!」と声を荒げた義朝の言を容れ、「いかにも」の一言を発したのは信西。父と弟を逐おうと事を仕掛けた張本人、関白忠通はただそれをうべない、「だったらさっさと終わらせろ」と言うばかり。

かくて義朝は張り切って出陣。父や弟が相手でも躊躇はしない。

「敗者とならぬことが肝心」と心得る清盛は「血なまぐさいことは義朝に任せて」とばかり、形ばかりの出陣をする。

東国や西国といった遠いところでしか起こらなかった合戦が、ついに都の中で行われる。それも、下り居の帝、今上帝には兄にも当たる尊きお方を逐うために。

火をかけられ、逃げる崇徳院と頼長。その際頼長は首に矢を受け瀕死の重傷。

「お前達武者がいるから私に危難が降りかかるのだ」と言って崇徳院は途中で為義以下源氏の武者を追い払う。まぁ実際そうなんだけど、あまりといえばあまりに気の毒な為義達。こんなことにかかずりあいたくないと思いながら、実の息子と戦ってまで守ってやったのに……。崇徳院と別れ、為義達は近江を目指す。

一方、南都の僧兵を集めようとしていた忠実は頼長の敗北を知り、宇治から南都へと逃げます。そして忠通のもとには「忠通を藤原氏の長者に復す」との宣旨が。朝廷に――信西にしてやられた摂関家。

氏の長者に関して、お主上の仰せ出だしを受ける――お主上のご介入を受ける。それはすなわち、お主上からも朝廷からも超然とし続けて来た、「摂籙の家」という超然を捨てることだからである。 (P243)

弟から「氏の長者」の座を奪おうとして仕掛けた今回の“乱”。摂関家内部の争いを「世の争い」に、「朝廷」vs「崇徳院」という構図に広げてしまったツケは、早速忠通の上に降りかかった。勝ったはずの忠通は負けたのです。保元の乱の勝者は忠通ではなく、信西でした。

それは、いかなる奇縁なのであろう。摂関家の超越を衝き崩す一族の傍流の子を育んだ高階氏とは、その往古、奈良の都に栄華を極めた長屋王の裔なのである。 (P245)

藤原氏の陰謀によって自害に追い込まれた長屋王。その裔、高階氏によって育てられた信西が、藤原氏の権勢を打ち崩す。

しかも信西のやり口がうまいんですよねぇ。一見忠通は何の損もしていないように見える。実の父と弟が「朝敵」になってしまったのに、「関白」という彼の地位には変わりがなく、「氏の長者」にも復した。

でも。

そのことに意味がなくなっている。

「摂関家」という超越あってこその「関白」「氏の長者」であったのに。

保元の乱最大の敗者は、一滴の血も流さず、旧に復して権勢の地位を得続けることに成功した、時の関白忠通なのである。 (P246)

忠通の代わりに血を流した頼長は、瀕死の状態でさまよいます。忠通に男子が生まれなければ摂関家を継いでいたであろう左大臣の最後は、本当に哀れなものでした。

家司として仕える母方の従兄弟と、わずかの供だけで逃げ惑い、頼れるはずの忠実にも拒まれる。死の苦しみに喘ぎながら「父に会いたい」という頼長を、忠実は「不吉、穢れ」と言って斥けるのです。

一体この「父」は何なのでしょう。忠通・頼長を無駄に争わせ、頼長を死に追いやり、忠通の立場(というか摂関家自体の立場)を危うくして、しかしおそらくは自身の「罪」を何も認識していないであろう「父」。79歳という高齢、すっかり耄碌していたのかとは思え、嫡男以上に可愛がった次男が今にも命の灯を消そうとしているのに。

傷ついた我が子を案じられることもなく、「穢れ、憚り、不吉」と言う。そのような言葉と出合うために、ここまでの道程をやって来たのかと思うと、使者の背に怖気が立った。「氏の長者の父とはこのような人だったのか」と。 (P265)

みすぼらしい小屋で、父に看取られることもなく37歳の若さで死んでいく頼長。頼長の人生って、何だったんだろう……。

「悪左府」と渾名されるほどの傍若無人、思想ばかりで超KY、失脚するのも自業自得とはいえ、この死に方はなぁ。

しかも「頼長死す」の報を受けた忠実がまた。「この膝の上で死なせてやりたかった」なんて言うんだよ。泣くんだよ。えええっ、あんた「会いたくない」って言ったじゃん。「不吉」だって言って、屋敷に迎えることも、見舞うこともしなかったじゃん!

しかし経憲は、忠実の流す涙が疎ましかった。自身の涙を、忠実に奪われたとさえ思った。経憲の膝で、経憲を見上げていた頼長――その目の内に涙が光っていたのを、経憲は忘れることが出来なかった。(中略)その目の縁から溢れ出た涙を、この父は知らないのだと思った。 (P271)

昔読んだ時もうるうるしたけど、ここはホントに泣ける…。ううう。

頼長の母方の従兄弟である経憲は最後まで頼長に付き従い、頼長の死を看取って髪を下ろし、自ら朝廷へ出頭する。

そして。

拷問にかけられる。

本当のところ、「謀反」なんてものはなかった。だけど、信西は「謀反」を捏造しなくちゃならない。頼長が謀反を企んでいた、それを「事実」とするために、頼長のそば近く仕えていた者は「白状するよう迫られる」。

経憲はれっきとした貴族です。五位以上の貴族が拷問にかけられるというのは実に290年ぶりのことだったそうな。

摂関家の嫡子左大臣頼長の家司を勤めていた堂上貴族の背に拷訊の杖が振り下ろされた時、長く続いた王朝の時もまた終わった。王朝貴族に仕え、ただ寵されるだけでよしとしていた滝口の武士の肉体が白砂の庭に悶える時、彼等を寵した男達の威勢も終わった。 (P285)

「王朝の世」がすべて「良かった」とも「正しかった」とも言えないけど、「拷問」や「合戦」が普通のことでなかったという意味では「平和な世」だったよね…。

頼長が短い一生を寂しく終わらせた一方、近江を目指していた崇徳院は都に舞い戻る。髪を下ろして弟のいる仁和寺へ向かうも弟は兄を庇護せず朝廷に通報。結果、崇徳院は仁和寺で幽閉同然の身に。

その崇徳院に「おまえがいるから私の身が危険になる」と言われてしまった為義も都へ戻っていました。崇徳院同様髪を下ろし、嫡男義朝のもとへ出頭。自身に従った息子達を救うためにはただ逃げるよりその方が良いと。

為義は当然義朝を信じていたわけですが。

関白と左大臣。関白と前の関白。御位を逐われた新院と、御位に即かれた当今。父と子が対立し、父に疎まれた兄が、父に愛された弟と戦う――それが保元の乱の真相だった。 (P305)

同じ時代にある父と子は、既にその立脚点を異にしていた。父が子に託し、子が父から受け継ぐ。託され、受け継がれて来た「時代」というものが、さまざまな解釈にさらされて揺らいでいた。 (P305)

一つの時代の中で父から子へと伝えられ、受け継がれて行ったものは、その解体の中で機能を失う。父は、もう子に伝えられない。子は既に、父からなにものかを受け継がない。父が伝え、遺そうとするものは、解体される時代の中で、意味を失って行く。 (P309)

「時代が変わる」というのは残酷なことですね…。

「乱」を鎮めた報償をめぐって、義朝と清盛は対照的な反応を見せます。

「がんばったんだからそれでは足りない!」と声高に不満を述べ、「左馬頭」の地位を手に入れる義朝。それならば我も追加の行賞をと、弟達の昇殿を願う清盛。

武者の関心は、朝廷の人事になかった。(中略)領主としての勢威を強めるだけの官と、拡大される所領がありさえすればよいと思う彼等にとって、中央での栄達は、さして重要なものではなかった。しかし、同じ武者でありながら、院の御所の寵遇を受け、都にその栄達の地歩を築きつつあった伊勢平氏の長、清盛は違った。 (P322)

一人の栄達は成り上がりだが、一族の栄達は栄達である――都の貴族達はそのように受け止める。であればこそ清盛は、一族の昇進を求めた。(中略)父から子へと伝えられたものを、更に横へと広げる――それが、屈辱と忍耐を知る清盛の「戦法」だった。 (P324)

清盛はしたたかです。

忠通が勝ち、後白河帝が勝ったように見える「保元の乱」。しかし乱が終わった時、関白忠通はその「超越性」を奪われていました。白河院、鳥羽院と「院の御所」が世の中枢ともなっていたのが終わり、「朝廷」方が勝ったのはいいけれど、関白を戴くばかりの無能な公卿たちが関白を失って、「朝廷」は果たして機能するのか。

ぽっかりと空いた「力の空白」。その時そこに立てる者は信西しかいなかった。

かくて290年ぶりに拷問を復活させた信西は346年ぶりに死罪をも復活させる。

清盛は叔父忠正を、そして義朝は父為義を斬らされることになる――。

忠通追い落としを始め、信西の巧妙なやり口にはゾクゾクしますが、しかしその信西も結局は……になるんですよね。

諸行は無常――。

2012年2月24日 (金)

『双調平家物語』第8巻/橋本治~その1・保元の乱前夜~

いよいよ「保元の乱」です。

8巻最初の系図には、主要登場人物の「保元の乱時の年齢」が記されています。それによると、

崇徳院38歳、美福門院40歳、後白河30歳、頼長37歳、清盛39歳、義朝34歳。

義朝って、清盛より5つも年下なのですねぇ。大河ドラマ見てるとどう見ても義朝の方がしっかりしてて年上なんですけど。

美福門院が鳥羽院のもとに上がったのが17歳ということを考えると、大河で義朝が「このバカ御曹司!」と清盛を怒っていた時って、清盛は16歳で義朝はたったの11歳ってことに…。

この間清盛が明子と結婚しましたが、嫡男重盛は清盛20歳の時の子ども(保元の乱の時、重盛は19歳)ということなので、やはり「光らない君」の回でやっと清盛は19歳ぐらい。

清盛がまだ10代なのはいいとして、義朝がやっと中学生ぐらいっていうのは「ええっ!?」だよね。

まぁドラマはあくまでドラマで、「この物語はフィクションです」だから、史実通りの年齢設定じゃなくてもいいわけですが。

で、さて。

「保元の乱」が起こる前、摂関家の左大臣藤原頼長はすでに「悪左府」と呼ばれる存在でした。

なにゆえに彼は気ばかりを昂ぶらせ、「悪左府」と人に恐れられるようなことばかりをしたのか。好んでそれをするのではない。やむことなく、それを仕出来してしまうのである。(中略)左大臣の官に就き、内覧の任を賜わり、にもかかわらず頼長は、御世を動かす政治家ではなかった。摂関家の正しかるべきありようばかりを思う、時代遅れの思想家だった。 (P23)

「正しさ」ばかりを追い求めると人は歪む、の典型でもありましょうか。藤原氏の長者である自身がなにゆえ関白の座にあらぬのか、兄忠通はいつになったらその座を明け渡すのか、と思う頼長は「左大臣を辞める」ということまでしてしまいます。

自身が左大臣の職を投げ出せば、朝廷は困惑して、関白の官を提示するであろうと思い込んだのである。(中略)事は既に、妄想の域である。 (P29)

いやもうホントにね。橋本さんの筆も容赦がないったら。

摂関家の親子・兄弟がそんな馬鹿げた争いをしてるうち、近衛帝が17歳の若さで崩御。

近衛帝は、鳥羽院と美福門院の間に生まれた皇子でした。そして、17歳の近衛帝にまだ子はいなかった。

近衛帝の前の天皇である崇徳院の皇子、重仁親王は17歳。崇徳院は自分の子が次の天皇になることを疑ってはいませんでした。しかしもちろん美福門院にも忠通にもそんなつもりはありません。

重仁親王は美福門院の猶子となっていましたが、美福門院には今一人猶子がいました。鳥羽院と待賢門院璋子の間に生まれた皇子、雅仁親王の子である守仁王です。忠通と美福門院は14歳の守仁王を帝位に、と画策します。

しかし鳥羽院が異を唱える。「親王である父をさしおき、子を帝位にとは順が逆」。

実のところ鳥羽院は、自身と美福門院の間に生まれた内親王を御位に、と考えていたのです。崇徳院が自身の胤でないと知っている鳥羽院もまた、崇徳院の子を帝位につけようとは考えない。身分低い女をその愛で女院にまでのぼせた鳥羽院は、その女との間にできたもう一人の子、内親王を御位につけたかった。

しかし内親王の即位が混乱を招くことは孝謙女帝の例で明らか。

鳥羽院から相談を受けた信西(大河ドラマでは阿部サダヲさん)は「雅仁親王こそ」と答えます。雅仁親王を育てた乳母は、他ならぬ信西の妻でした。

能力はあっても生まれが低く、出世の道を閉ざされていた信西。ここへ来て一気に「天皇の乳母の夫」、つまりは「天皇の近臣」という地位を手に入れるのです。

忠通や美福門院が何をどう言おうと、鳥羽院の思し召しにはかないません。近衛帝の後を継いだのは雅仁親王。つまり、後白河天皇の誕生です。

そして後白河帝即位の翌年、鳥羽院も54歳で崩御。「死後、我が顔を崇徳院に見せるな」と言い残して。白河院崩御から27年の月日が流れてなお、鳥羽院にとって崇徳院は「白河院の亡霊」だったのですね。白河院が自身におしつけた「子ではない子」という悪夢。

自身の出生の秘密を知らず、鳥羽院を「父」として慕う崇徳院は、なぜ父の死に顔を見ることが出来ないのか、なぜそばに付き従うことができないのか、わけがわからない。嗚呼、可哀想な崇徳……。

後の世の者達は、新院のご謀反によって保元の乱は惹き起こされたものと、わきまえ解する。しかしそれは誤りである。田中殿に籠られた新院は、初七日の間、父院のご冥福をひたすらに祈られるばかりであられた。事を惹き起こしたのは、後白河帝を擁する時の関白、藤原忠通なのである。 (P67)

保元の乱直前、頼長は左大臣に復していました。しかし頼長にとって「関白」以外はすべて無意味。しかも崩御前の鳥羽院から面会を拒絶されて、もう世の中なんてどーでもいいや、という状態。

頼長の思うことは、既存の体制の容認であり、そこにおける自身の「本来」の確保ばかりだった。頼長の中には、世を否定する心がない。その御世において、頼長ほど「謀反」から遠くある者もなかった。 (P73)

が、しかし。兄の忠通にとって、弟の頼長は邪魔でしかありませんでした。

御世の関白となりながら、藤原氏の長者の座を逐われた男――藤原忠通が復讐を遂げる日は、ようやくにして訪れたのである。 (P74)

頼長がバカだったのもいけないけど、忠通もねぇ…賢くはなかったよね……。実の弟や父と争って、結局藤原氏の地位を落としてしまうんだから。

頼長を排除し、「氏の長者」の座を取り戻したいと願う忠通は、「謀反」を捏造します。

いかなる嫌疑があるのか。御世の関白は、実の父と弟を、主上調伏の罪によって告発したのである。 (P81)

手始めに忠通は東三条院(藤原氏の長者の財産)を接収します。これを命じられたのは3年前に東国から京へ戻ってきていた源義朝。義朝の父、源為義(大河ドラマでは小日向文世)は摂関家に――つまりは忠通の父・忠実に仕えていました。で、そのまま為義は頼長に仕える身となっていた一方、義朝は忠通の方に。

頼長は「悪左府」と呼ばれ、時の関白はすでに忠通ですから、「東国から戻ってきた嫡男は今の関白に」は賢明な配慮です。結果として保元の乱で親子が戦うことになってしまいますが。

頼長父子に「謀反」の疑いがかけられたことを知って、自身も危ういと感じる崇徳院。頼長父子が謀反を言い立てられるのであれば、崇徳院にも言い立てられる芽はいくらでもある。何しろ、新帝擁立に当たって崇徳院の皇子重仁親王の存在は無視されたのです。美福門院と忠通が崇徳院をないがしろにしているのは疑いのない事実。

「ここにいては我が身も」と思って崇徳院は居場所を移すんだけれども、そんなことしたらかえってヤバいよねぇ。やましいことがあるから逃げたんだと思われる。でも崇徳院のそばに、賢明な策を授けてくれるような、頼れる側近はいない。心を許し、その忠言に耳を貸そうと崇徳院が思うほどの相手は。嗚呼、返す返すも可哀想な崇徳…。

崇徳院は警護のために為義を呼び寄せます。けれども為義の態度は煮え切らない。そりゃそうでしょう、我が子義朝は忠通方だし、すでに家督を譲ったも同然の61歳、今さら面倒ごとに巻き込まれたくはない。そこで崇徳院方は為義の直接の主人である頼長に使いをやるのですが。

これがまた!

謀反の疑いをかけられている頼長を呼び寄せたりしたらどんどん「謀反」が近づいてきちゃうじゃないのぉ。

しかも当然のごとく頼長はバカなので、崇徳院からの使いに「院は世を正される(御位を取り戻す)おつもり」と勝手に思い込んじゃう。敵の思うツボやんかぁ。79歳の忠実がさらにバカで、わざわざ南都興福寺の僧兵を呼び寄せようとする。おいおい、それ「謀反の疑い」を完全に「謀反」にしちゃってるやん!

ご危難を思し召され、それを避けんと思し召されて、新院のご危難は、ますます色濃くなられたのである。 (P129)

なんだかなぁ。誰か崇徳院を支える賢い臣が一人いれば事態は違ったものになっていたろうに。崇徳院方が頼長を捕らえて差し出すとかしていればそれで「危難」は去っていたんじゃないの…?

頼長が参上を果たして、新院のご危難は、「世の歪み」となり変わった。頼長が「世の歪み」を口にしたその時から、新院のご危難は、新院を超え奉った「御世の危難」へと移り変わっていた。これなくんば、乱世の到来とてもないままにあったろう。しかし、その錯綜に気づく者は、新院のおそばに一人とてなかった。 (P130)

嗚呼、くらくら。

やっぱり頼長がバカだったのが一番の問題か…。

「主上に対する謀反」が騒がれる中、当の「主上」、後白河帝のそばにも信西しかいなかったりする。関白も大臣も、誰もお主上のもとに参内しない。

「謀反」の噂の中で、高松殿内裏にましまされるお主上をお守りするのは信西ただ一人である。「それであっても大事ない」と誰も彼もが思うのは、そもまず、朝廷に列する大臣、公卿が、「謀反」なるものを「ありえない」と思うからである。信西とても、それをよく知っている。「謀反の噂」を殊更にするのは関白であり、「謀反」とは、摂関家の兄弟喧嘩であり、父子喧嘩でしかない。 (P122)

ええ、まぁそうなんですけど。

やめときゃいいのにお主上に向かって「譲位」を迫る文を出す頼長。もちろん忠通はそんなもの一蹴。崇徳院方の警護を任された為義は「万一合戦になれば」と進言するけれども、頼長はもちろん合戦など考えない。忠通も考えない。都の貴族に「合戦」などという血なまぐさいことは想像の外。「謀反」と言い立てられたものはさっさと身を引けばいい。

だから、信西はこっそり頼長暗殺を命じてもいた。謀反の首魁が死んでしまえば、それで丸く収まる。

しかし暗殺はできず、その気になれば「合戦」ができてしまう武者が双方に控える中、事態は膠着状態。

戦えば負ける。負けぬ方法はただ一つ。それは、戦いとなるべき途を回避することだけなのである。 (P141)

息子義朝の武勇を知る為義はそう思い、敵である関白はなかなか「戦え!」の声を発しない。

合戦がいやなのではない。その以前に、関白忠通は、自身の理解を超えたことに対するのがいやなのである。 (P152)

さて――。

長くなったので続きます。

2012年2月21日 (火)

罪と罰

光母子事件で被告の死刑が確定しました。

判決確定まで13年。いつもながら、裁判って長くかかるな、と思います。

「元少年」はもう30歳になってしまっているし、殺された赤ちゃんが生きていたらもう中学生です。

人一人、死刑になるかどうか、なのだから、ろくに審議せず1年くらいでパパっと決めてしまうのも問題でしょうけれど、殺された被害者の方はそんな猶予もなくあっさりと突然殺されてしまったわけで、「人一人の命」ってなぁ、と思わざるを得ません。

思えば色々なことが非対称です。

今回の裁判が紆余曲折で長引いたのは加害者が当時「少年」で、「少年に死刑適用はどうなのか」というところで判断が難しかった。

まだ若い「少年」には未来があって、「更正」の余地があって……云々。

殺された母子にはもう「未来」がないのに、殺した方には「未来」が許される。

「死刑」の是非はあっても、法律上もっとも重い罪を適用して当然なのではないか? たとえば17歳だから許されて、20歳だったら許されない、そこの線引きって何だろう? 15歳だったら、13歳だったら???

加害者が更正していい人になっても、殺された人は生き返らない。むしろうっかり「いい人」なんかになられたら、遺族としては怒りのやり場がなくて困っちゃうんじゃないのかな……。

更正できるぐらいなら、最初から「いい人」でいてくれれば良かったのに。どうして「悪い」時に、よりによって自分が、自分の家族が、出くわして、殺されなければならないのか。

その理不尽さは、加害者がどんな罰を受けても、受けなくても、変わらない。

許されて更正しても、死刑になっても、殺された人は生き返らない。

なんという非対称。

もちろん、だからこそ、「人を殺してはならない」んだろう。償えるわけがないから。どうしたって取り返しなんかつかないから。

 

「少年」だからとか、「責任能力」とか、あるいは「殺意の有無」とか。

殺意があろうとなかろうと、失われた命の重さに違いはない。たとえば交通事故だったら。たとえば尼崎の脱線事故だったら。いじめて自殺に追い込んだんだったら。

許される罪と許されない罪。問われる責任と問われない責任。

襲ったのが熊だったら。

問答無用で射殺されるだろう熊と、情状酌量される人間。

社会を営むために、どこかで線は引かなければならない。人間であればこそ、「理性」でもって対さなければならない。

殺人を犯すような時、たいていの加害者は「理性」を失っているだろう。一時的に理性を失ったことを、加害者は許される。でも被害者側は、理性を失ってはならない……。

非対称。

 
もしも被害者が若い女性と赤ちゃんじゃなかったら。

もしもお年寄りだったら。

私はこんなに関心を持っただろうか? 極刑であたりまえと思うだろうか?

もしも「少年」の罪は保護監督者の責任として親が代わりに死刑になるという制度ができたら、少年犯罪を助長するような「ひどい親」はいなくなるだろうか?

凶悪犯を生んだのは社会のせいなら、社会の全員が刑に服すべき?

 

同じように赤ちゃんが殺されても、加害者が「親」なら、別に死刑にならない。

それだって極刑でいいだろうと、私は思うけど。

2012年2月20日 (月)

festa coba~初めてのcobaさんライブ♪

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先日、びわこホールで行われたcobaさんのライブに行ってきました♪

cobaさん20周年ということでその名も「festa coba」=コバ祭り。

そうか、もう20年も経つのか、とデビューアルバムを持っている私はちょっとびっくり。あれ買ったのってそんなに昔なのか…。

1991年発売、まだcobaではなく小林靖宏名義ですね。ジャケットも、今のボーダーTシャツcobaさんとはずいぶんイメージが違います。

もっとも私がこのアルバムを買ったのは91年ではなく93年ぐらいかもしれません。最初に買ったのは『風のナヴィガトーレ』の方だった気がするのです。

1993年発売、「地中海三部作」の最後のアルバム。

母がテレビでcobaさんの演奏を聴いて「すごく良かったよ!」と教えてくれたのです。アコーディオンの音色はもともと好きですし、母の感性には信頼を置いているので、早速梅田ingsのCDコーナー(今ingsってもうCD置いてないよね?昔は楽器も売ってたよね?)行って探して買ったのが確か『風のナヴィガトーレ』だったと。

で、気に入って三部作の残り2作、『太陽のポスティーノ』『雪のアトリーチェ』、そしてデビュー作『シチリアの月の下で』と買いそろえたんだったと思います。

何しろ20年近く前のことなので記憶が曖昧ですが(^^;)

『太陽のポスティーノ』のジャケ写も今のcobaさんとだいぶイメージが違うなぁ。うぷぷ。

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その後もCD出たら買う、って感じで数えたら9枚も持ってました。最新作が34枚目とおっしゃっていたので3分の1にも満たないし、最近の作品はあまり追いかけていなかったのですが、しかし「20年来のファン」と言って言えなくはないだろうと…。GACKTさん以外でそんなにたくさんCDを購入しているアーティストはcobaさんと小曽根真さんぐらいですもの。

ただ、GACKTさん、小曽根さんと違ってcobaさんの生の演奏を聞く機会はこれまでなく。

初めてその音楽に触れてからおよそ20年という歳月を経て、やっと今回ライブに参加することができました!

大雪に見舞われた日で、正直びわこホールまで出かけるのがかな~り億劫だったんですが、やっぱりライブは良い! 血が騒ぎました!!!

20周年ということで1部はcobaさんのこれまでを振り返る、という演出で、『シチリアの月の下で』の1曲目だった「SARA」や『雪のアトリーチェ』の中の「過ぎ去りし永遠の日々」といった懐かしいナンバーも。

そしてピアソラの「Liber Tango」! かなり斬新というか、激しいアレンジ・演奏で、燃えました。

もう幽体離脱して踊りまくってましたからね。赤いドレスの裳裾をひらめかせ、気分は宝塚スター、顔はなぜか栗山千明(笑)。

自然に体が動く。リズムを取らずにいられない。

最後はcobaさんが「みんな立って」と言ってくれて、全身を解放することができましたが、そこまでずっと、座ってるのが苦痛で(笑)。まぁ端っこの席だったんで座りながらもかなり動いてましたが(爆)。

なんか、ああいう音楽って、街角で、酒場で、自然に踊り出す人や歌い出す人がいるようなもののような気がするんだけど。大人しく座ってただ聞くだけじゃもったいないような。

2部幕開きはアコーディオンソロで「Tango for forbidden people」。これすごい良かったぁ! もともとタンゴが好きなのもあるけど、アコーディオンってすごい楽器!っていうのを堪能。1台の楽器、1人の人間が2本の腕だけで演奏しているとは思えないすごい重層的な音。圧巻だった。

「月城」という曲では森川久美さんのマンガ『ヴァレンチーノ』シリーズの世界が目の前に。ヴェネチアの夜、仮面の宴、水面をすべるゴンドラ、城の上から見下ろす美しきドージェ……。

なんともイメージの膨らむ音楽。

あまり現代的なのよりちょっとクラシカルな方が私は好きで、だから最初の『シチリアの月の下で』を一番良く聞いていたんだけど、最新作『MOND coba』、久々に買おうかな、って思いました。

…まだポチってなくてごめんなさい。いや、買います。買いますけど、ちょっと今月は出費が(>_<)

cobaさん、お話も面白かったです。前夜の金沢公演後、美味しいもの食べて飲んで、って楽しんでたら「大雪でヤバいから今から滋賀へ移動!」って宴会打ち切りになってしまったそうで。

金曜・金沢、土曜・滋賀、日曜・神戸。

3夜連続公演。音楽家は体力ですね。特にアコーディオンって、あれずっと抱えて演奏するのすごいしんどそう……。

また是非滋賀へ来てくださいね。できれば今度は雪じゃない、過ごしやすい季節の時に(笑)。

2012年2月14日 (火)

『カリオストロの復讐』『ルパン最後の事件』/モーリス・ルブラン

さぁさぁさぁさぁ、ついに24巻まで来てしまいましたよ、『ルパン全集』。ルパンの活躍がもう読めなくなると思うと……うう、また1巻から読み返そうかと思うぐらい寂しい。

24巻『カリオストロの復讐』は、もちろん第15巻『カリオストロ伯爵夫人』の後日譚。

まだ「ルパン」になる前のラウール=ダンドレジーと愛憎劇を繰り広げた女盗賊ジョゼフィーヌ=バルサモ。結局は自分を捨てクラリスを選んだラウールに復讐を誓い、クラリスとラウールとの間に生まれた子どもを誘拐する。

もちろん、行方不明になった子どもをさらったのが彼女だという証拠は何もなかった。でもあのルパンが、まだ若造だったとしてもあのルパンが八方手を尽くしてその行方を突き止めることができない、そんな仕事をしおおせられるのは……。

出産してすぐ、クラリスは亡くなってしまっている。いつか子どものことも遠い記憶になってしまっていただろうルパンのもとに、四半世紀の時を経て、カリオストロ伯爵夫人の亡霊が現れる――!

と言っても。

ジョゼフィーヌ=バルサモ自身は登場しません。「ルパン自身による前書き」という部分で、それははっきりと言明されています。読者に「なんだよ、出てこなかったじゃないか!」と文句を言われるのがルブランも嫌だったのでしょうか。

とはいえこれは、カリオストロ伯爵夫人、ジョゼフィーヌ=バルサモの面影が、なんとも悲劇的な影を落としている物語である。過ぎた恋がはげしければはげしいほど憎しみは深く、復讐をつつむ闇もまた、黒々として濃い。そのような物語であれば、どうして題名にカリオストロの名を冠せずにいられよう。 (P10)

この前書きはなかなか面白くて、

もちろん、自分が特別に感じやすいことは否定しない。街の角ごとに、一目惚れを拾ってきてしまうような男ではある。ご婦人がたには、たいてい手厚く寛大な態度でお迎えいただいたこともたしかだ。 (P8)

なんてことも言ってます。うぷぷ。

物語の発端は、偶然ルパンが見かけた紳士。大金を持っている紳士がとある屋敷にその金を隠したことを確信したルパンは、ちょうど売りに出ていたすぐそばの別荘を買い取り、知人に紹介された若い建築技師フェリシアンにその改装を頼む。

機が熟し、いよいよルパンが仕事にかかろうとした時、紳士の姪エリザベートが殺され、隠された大金も盗まれるという事件が起こる。夜にはエリザベートの婚約者ジェロームが襲われ、シモンという名の若者も瀕死の重傷を負って発見。フェリシアンに疑いがかかり、ルパンのもとに乗り込んできた謎の美女フォスチーヌは「あんたがやったんでしょ!あんたはアルセーヌ=ルパンよ!」と叫ぶ。

事件の謎解きにかかったルパンはほどなく、フェリシアンが自分の息子である可能性を知る。

蘇る過去の亡霊。「必ず復讐してやる!」と誓って去ったカリオストロ伯爵夫人の命令書。

子どもを盗人に、できれば殺人者にしたて、のちに父親と敵対させよ。 (P160)

果たしてフェリシアンは本当にルパンの子どもなのか。ジョゼフィーヌ=バルサモの怖ろしい命令通り、殺人者に育ってしまったのか。エリザベートを殺し、ジェロームやシモンを襲った犯人は一体……。

相変わらず息もつかせぬ展開で一気に読んでしまいましたが、今回ルパンはかなり翻弄され、自力で事件は解決できないんですね。フェリシアン、フォスチーヌ、そしてエリザベートの妹ロランドはルパンに心を開いてくれず、謎の核心に迫りきることができない。

まだ「息子かもしれない」とわかる前のセリフですが、せっかく助けてやろうと思っているのにフェリシアンにだんまりを決め込まれたルパン、こんなことを言います。

「きみほどの年になったら、こんどのような苦境にあっても、自力できりぬけられなくてはいけないものな。なにか悪事をしたというのなら、しかたない。もし無実なら、きみの人生のうち、いつか償われるときがあるさ。」 (P68)

「息子かも」と思うようになってからも、ルパンはフェリシアンの人物像、本心がつかめずいらいらします。そして、「息子だったからといって距離を縮めようとも思わないな」と。

フォスチーヌと仲良くしてるフェリシアンを見て激しい嫉妬に駆られたり、ルパンはあくまで「男」で、「親」という立場にはなかなかなれないみたい。ホントに街の角ごとに一目惚れ拾っちゃうんだからねぇ(笑)。

今作には、ルパンの出てこないルパン全集、23巻『赤い数珠』での活躍が記憶に新しいルースラン予審判事も登場します。

『赤い数珠』の登場人物だったボワジュネとルパンが友達、なんていう言及も。

ルースラン氏は今回も大変いい味出してくれてて、しかもルパンをして「たいした男だ」と言わしめるだけの頭脳と懐を持っています。

いやホント、ルースラン氏っていい人なのよねぇ。うん、好きだわ。

最後、事件の真相をルパンから聞いたあと、ルースラン氏は思う。

(こんなに上品なのに、性根はあくまでも泥棒なんだ。この男は一生、人を救い続けるだろう。だが一方で、他人の財布を失敬する機会があれば、けっして自分をおさえないだろう。帰るときには、握手をすべきかな) (P299)

そんなルースラン氏の内心の思いを感じながら、ルパンは話す。

「私の望みはですね、死んだとき、〈あれは、いい男だったな……まあ、悪事も働いたんだろうが、いい男だったよ〉といってもらうことなんです。」 (P299)

ルースラン氏はルパンに握手を求め去っていく。いやぁ、大人ですわ。

うん、ルパンシリーズの面白さっていうのは、こういう「大人の粋さ」が堪能できるところだよねぇ。

 

ついに、最終巻!

ついに、ルパンともお別れ!!!

うぇーん。

そんな記念すべき最後の冒険なのですが、あまり面白くなかった……。

アメリカとフランスを結ぶ航路、オラース=ベルモンという変名、待ち構えるガニマール刑事、などルパンが初登場したお話『ルパン、逮捕される』を思わせる演出は心憎いんだけど、事件そのものはなんか、微妙。

ルパンがこれまでにため込んだ数十億という金を横取りしようと企む秘密結社。その結社と関わりのあるアメリカ人女性パトリシアを守りつつ、ルパンは自分の財産を守ることができるのか――という話なんだけど。

なんかルパンがかなりバカになってる気がする。なんか、翻弄されちゃって。

いや、もちろん最後には勝つし、今までだって「無敵」といいながら途中は翻弄されまくりっていう展開が多かったんだけど。

なんかこう、ルパンの知力を堪能する部分がなかったなぁ、って。色ボケしてるシーンばかり多くて…。

いや、もちろんそれだって何も今に始まったことじゃないし、美女との恋の駆け引きはルパンシリーズの魅力の一つだってわかってはいる。でも今回ルパンは自分で言ってるんだよ。

「それに、どんな女ももうたくさんだ!色恋もたくさん!恋の征服もたくさん!小さな青い花もセレナーデもたくさん!月の光もうんざり!なにもかも、うんざりだ!ああいうものは、みんなやりきれない!」 (P78)

何が「どんな女ももうたくさん」よ。その舌の根も乾かぬうちにパトリシアにメロメロになってんじゃん。

そもそも『虎の牙』でめでたく結婚した彼女、フロランスはどうしたの???

年譜によると『虎の牙』がルパン45歳頃、この『最後の冒険』が50歳頃。まだフロランスと結婚してたった5年。そりゃああのルパンが一人の女性だけといつまでも仲むつまじくおしどり夫婦やってるとは思いませんけど、でもフロランスのフの字も見えなくて。ビクトワールと二人暮らしになっちゃってて。

『カリオストロの復讐』も今作とそう違わない時期の話だけど、フロランスの影はまるでなかった。そしてルパンは当たり前のように謎の美女フォスチーヌに熱を上げとった。

さっさと別れちゃったのかなぁ。ああフロランスフロランス。

50になっても落ち着くどころか、のルパン。ビクトワールが眠っている彼の寝顔をうっとり見ながら「なんて若く見えるんだろう、もう50まぢかだなんて信じられない」と言うと、がばと飛び起き憤慨する。

「もうおれは三十もとっくにすぎている……それがわかってるくせに、なぜくだらん数字なんかならべておれを傷つけるんだ?」 (P77)

年を気にしているらしい。そして「三十」からあとは数えたくないらしい。私といっしょね、ルパン(笑)。

しかしルパンが50歳ならビクトワールは一体何歳なんだろう? 乳母として子どもの頃からルパンの面倒を見てきたビクトワール。イメージとして割と最初から年配の女性だったんだけど、実はあの頃はまだ若かったのかしら。でないともう90歳とかになっちゃうよね。

ルパンに「これこれのことをするように。俺が連れて行く人間を守ってやるように」と指示されたビクトワール、答えて曰く。

「わかったよ。じゃ、さようなら。あんた、うまくやんなさいよ。いいえ、注意も質問もお説教もいらないよ。わたしゃ、もう、いのちをかけちまってるんだからね。それは、あんたもよく知ってるだろ!じゃあね!」 (P139)

さすが伊達に50年もルパンの乳母やってない。ビクトワールかっけー!

『バーネット探偵社』他でいじられ役だったベシュも出てきますが、ほとんど名前だけ。ガニマールもそう。

ガニマールって、全集の後半まったく出てこないからすっかり忘れてた。銭形警部ほどにはルパンの人生を彩っていない。

この第25巻には長編(というか、他の作品に比べると中編)『ルパン最後の事件』の他に、短編が二つ収録されています。

『山羊皮服を着た男』は「あれ、これって『モルグ街の殺人』じゃ?」と思ったらちゃんと最後にエドガー・アラン・ポーの名前が出て来て、ルパンが心憎いセリフを吐きます。

『エメラルドの指輪』の方は……なんかよくわかんなかった。女性の心理がよくわからない。んんん?

 

というわけで、最終巻なのになんか消化不良。「終わったぁ、ルパン万歳!」と叫べない。こうなったらもう一度最初に戻って……。

うん、実は今回「全集読破!」を掲げながら、最初の3冊は飛ばしちゃってるし、4冊目の『奇巌城』も集英社文庫版で読んでるから、1冊目から4冊目までは未読。

まだまだルパンを楽しめる!?

2012年2月13日 (月)

世代間格差と『親殺し(平井和正)』

先日Twitterで、「搾取される感じがするものはとにかくもう嫌なんですよ」というtogetterまとめが話題になってました。

「年寄りや失業者に搾取されるのはもう嫌だ、俺の金を他に使うな!」というようなことを大学生の方が言っているのですね。

大学生ってことはまだそれほど税金や年金を払ってないんじゃないか、と思ったりもするんですが、この先否応なく「高齢世代を支えさせられていく」のはまぁ自明なわけですし、そうやって「搾取」されて、いざ自分が年寄りになったらもう全然年金もらえない、というのもかなりはっきりしている。

「嫌だ!」と思うのも仕方ないと思います。

今二十歳ぐらいの人って、物心ついた時から「少子高齢化」って言われてきて、「このままでは年寄りを支えられなくなる」ってずーっと言われてきて、でも全然その状況が好転しないどころか悪くなる一方で、不景気も悪くなる一方で、でも大人は「景気さえ良くなれば」ってずーっと問題を先送りして、子ども達の未来の資産を「借金」という形で食いつぶしてる。

そんな、「騒ぐだけで何もしない・出来ない」大人達をずっと見てきて、その大人達のために税金や年金や医療費を負担させられてるって思ったら、キレない方が難しい。

「少子高齢化問題」の扱われ方って、どう見ても「俺たちの老後を養う頭数が足りないんだからおめーらさっさと結婚して子ども産めよ」だし。

別にあんた達養うために生まれてきたんじゃねーよ!って言いたくもなります。

もはや「若者」ではまったくない私でさえそう思うんだから、今の若者、そしてこれから生まれてくる子ども達はホント可哀想です。

…って、こんな言い方すると当の若者達からは「わかったようなこと言うんじゃねぇよ、おまえも既得権益な“大人”だろ!」って怒られそうです。すでに選挙権持って20年、私も「現在の状況の成立」に無関係とは言えません。

「私たちはもうきっと年金もらえないんだろーな」「早く死んだ方がいーな」とは思っています。

で。

「増え続ける高齢者を支えさせられ、自分の老後には何の希望も持てない青少年」、「既得権益層である大人達が正社員の座を手放さず若者にしわ寄せ」みたいな「世代間格差の増大」を思って、「いっそもう若者は独立しちゃえばいいのに」とか思ったわけです。

「若者の、若者による、若者のための政治!」を掲げて独立国家作っちゃえ、と。

もちろんそんな簡単に国家が作れるわけもないけど、「少子高齢化」が問題で、子どもが減る一方で「養えない」なら、「養われる方を減らす」を考えたっていいんじゃないか、そんな話を昔読んだぞ……。

と思い出したのが平井和正さんの『親殺し』という小説。

本棚から引っ張り出して超久々に読んでみました。

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角川文庫版『悪徳学園』所収。昭和50年初版、昭和58年第19刷。今は中古でしか手に入らないようです。

読んでみたら「世代間格差でキレた若者が親世代を殺す」という話ではなく、「17歳以下の子ども達(新人類)が親を含めた旧人類を殺戮し、旧人類は絶滅する」という話でした。

初版が昭和50年ですから、時代は高度成長期、イケイケドンドン、一方で公害や冷戦、核戦争の恐怖などもあって、「人類が地球を滅ぼしてしまうのでは?」という懸念も出てきた頃なのでしょう。

ちなみに小松左京氏の『日本沈没』が1973年(昭和48年)刊行。

「旧人類最後の生き残り」の男の一人語りによる文庫本にして30ページ程度の短編。

敵の正体は前半ではわからず、一体何と戦って「人類最後の一人」になったんだろう?宇宙人襲来?それとも核戦争による人類同士の殺し合い?――と読者が興味を抱いたところで「実は敵は子ども達」ということが明かされる。

17年前から、生まれてくる子ども達はみな「新人類」になっていて、互いにテレパシーで繋がり、「個」であるよりも「総体」として存在しているような「新しい種」になっていた(このあたり、『幼年期の終わり』で描かれる“新人類”に似ています)。

ある日を境に新人類は旧人類の駆逐を始め、主人公の男も妻を小学三年生の息子に殺されている。

子ども達が一斉に、自分の親の寝込みを襲う。

いたいけな子どもの顔で「痛いよぉ、助けてぇ」と訴え、近づいてきた大人達の胸にナイフを突き刺す。

「まさか子ども達が」と思っていた大人達は後手に回り、あっという間に劣勢になり、少なくとも日本の東京で残っている旧人類は主人公一人っぽい……。

旧人類の視点から描かれているので、なぜ「新人類」が「旧人類」を滅ぼそうとしているのか、その理由とか思想はさっぱりわかりません。

ただ、主人公と直前まで行動を共にしていた男(すでに死亡)が推論を述べる。

「そうだろうか?こんなことになっても、まだ子どもを産もうとする者があるだろうか。孵すべき卵が、人間以外の怪物だとわかりきっているのにか?」 (P242)

「人類の子を最初に孕んだ類人猿の母親は、わが子がいずれ、己の種族を滅ぼす怪物だとは夢にも思わなかったろう。(中略)人類のために滅ぼされていった類人猿たちの呪いが長い年代を超えて降りかかってきたのか……親殺しの子孫たちに約束されていた、歴史の復讐なのか……」 (P242)

新しい種が古い種からしか生まれないのだとしたら、そして新しい種が優勢になる過程で古い種が滅ぼされていくのだとしたら、「親殺し」の罪を負っているのは何も人類に限らない、という気はするのですが。

まぁ「人類」なら、その母種族であった生き物を選択的に絶滅に追いやる、ということもやりそうではありますけど。

作中の男は人類の残忍さ、他の生き物を次々と絶滅させ、核兵器生物兵器といったもので地球そのものを滅亡の淵に追い込んでいることに触れ、「人類を一気に消し去るために、奴らは必然として発生してきたのではないか」と言う。

大人達もやつらが自分達と違うことにうすうす感づいていたはずだと。

親を殺害した者は、おのが子を信用することはできない。わが子に、心を許せないことを知っているからだ。これこそ親殺しの受けねばならぬ呪いなのだ。(中略)だからこそ、人類はいつの世も、次の世代に対して、疑惑を持ちつづけてきたのではなかったか。いまどきの若い連中はどうも理解できない。われわれの若い時分はああではなかった。あいつらのやることなすこと、とてもついていけない。と。
(P246)

……そーか、あれって祖先が大昔に起こした「親殺し」の呪いだったのか……。

他の生き物に「若い世代」をなじったり疑ったりする習性があるかないか知りませんが。うーん、人間は生殖能力を失った後も長く生き続けてしまうからなぁ。「次の世代を産んだらもう終わり」な生き物の方が圧倒的に多いわけだから……。

ともあれ、新人類達はなぜ親を殺すのか。どんな想いで、どんな思想で。そしてどんな社会・どんな文化を築こうとしているのか。

もしも今、こんなお話を書くとしたら、新人類が旧人類を一気に殲滅しようとするその理由は、「旧人類を生かしておいたら俺たちの未来はないから」でしょう。

旧人類は新人類を搾取し、未来の資産を食いつぶし、新人類の現在の生活をも脅かす。

テレパシーならぬネットで繋がった新人類達がある日一斉に――。

ただ、新人類というか新世代もやっぱり年は取っていくわけで。「長生きしない種」に進化する可能性はもちろんあるけど、17歳以下だけの世界ができて、でも彼らも年を取ってきて、また新しい若い世代が生まれてきたらどうなるのか。

うーん、テレパシーで繋がって「総体」として生きるのなら――「肉体」で区切られた「個」を重要視しないのなら、「老化」という概念は違うものになってしまうのかなぁ。

「長生きしたくない」「そうまでして生に執着しない」というのは、「老後のない種」になるということなのかもしれないなぁ……。(ああ、まとまらない)

2012年2月 7日 (火)

『双調平家物語』第7巻/橋本治~その2・悪左府頼長~

さて、頼長です。

7巻冒頭には「摂関家と男色」という系図が入っていましてですね、頼長の男色の相手として7人の名前が挙がっております。当時「7人」が特別多かったのかどうか知りませんが、大河で山本耕史くんがどう演じてくれるのか非常に楽しみですね(笑)。

頼長は、藤原忠実の次男です。忠実が白河院の怒りを買って宇治に蟄居した時、まだ頼長は2歳だったそうな。

忠実の息子で、関白になっていた忠通と高陽院となった勲子は正室・師子の娘(師子は白河院最愛の中宮・賢子の異母妹でした)。頼長はその辺の若い女を母としていて、兄・忠通とはかなり年が離れています。

白河院崩御の翌年、頼長は11歳。まだ男子のない兄・忠通の猶子となっていました。嫡子でもなく、母の身分も低かったものの、「摂関家の跡継ぎ」と目されていた頼長は早くから出世します。

13歳で権中納言、15歳で権大納言、17歳で内大臣。

そして19歳で早や2児の父です。

兄の忠通には男子がない。19歳の頼長は、既に二人の男子を得た。(中略)実父忠実が内覧となり、その勢力を旧に復した以上、頼長が兄頼通の猶子となっている必要もない。後は、若き内大臣頼長へ、摂関家の長たる資格が譲られるばかりである。忠実と頼長は、それが崇徳帝御譲位の後、遅からぬ時に起こるものと思っていた。 (P158)

年取ってからできた子(と言ってもたったの42歳だが)だからか、蟄居することになる不遇の時期に生まれた子だからか、忠実は頼長を可愛がったようで、頼長はかなり傲慢というか、当時としてはかなり変わった気性の持ち主に育っています。

自身が「摂関家の後嗣」であることに絶大の自信と誇りを持ち、摂関家が朝廷を仕切るのを「本来」だと思っている。どれだけ権勢があろうと、生まれの低い者(待賢門院や美福門院)に力が宿るはずはない、そんな連中にへこへこする必要はない、と。

幼い頃は粗野だったのが途中で学問に目覚め、「学問」しか拠り所のない若い下級官吏には慕われていたようです。

で、崇徳帝から近衛帝への譲位があって、遠からず忠通から自身への「摂政」の委譲があると思っていた頼長は、新帝近衛帝の後宮へ娘を贈ります。帝に娘を奉り、その腹に皇子を得て栄える、というのが摂関家の「本来」ですからね。

「自ら断を下す」ということをしたがらぬ人達は、事態をただ先送りにした。その御世にあってただ一人、「自ら断を下す」ということばかりを望んだ内大臣頼長は、近衛帝ご元服のその時に至って、自身の養女となった娘をおそばに上げ、女御となすという未来を得た。 (P162)

帝位についた時、まだ近衛帝はたったの2歳とか3歳とかで、「入内」というような年齢ではありません。だから頼長は「帝が元服なさった暁にはなにとぞ私の娘を」と申し出て、「まぁいいけどね」という内諾をもらうのです。

一方、崇徳帝に后となる娘を贈っていた忠通。「皇太子」ではなく「皇太弟」への譲位となったことで、新帝の外戚とはなれなかったのですが、そんなことで彼はへこたれません。

父の忠実は、鳥羽院を第一と思う。そのことは動かない。しかしその御世には、第一のお立場に立たれた鳥羽院を、お動かし奉ることが可能な人物もいた。それが皇后得子である。実質主義者の忠通は、ためらうことなく、得子を選んだ。 (P164)

鳥羽院にはめられ、譲位しても何の権力も得られない崇徳院。そんな崇徳院についている要はない、と思った忠通は御世最強の立場にある得子にさっさと鞍替え。一方、奇態なる本来主義者の頼長はわざわざ崇徳院に接近。摂関家の力を過信する頼長は、「所詮成り上がり者」の得子と仲良くする気も、敬おうという気すらない。

で、「崇徳帝と仲良くなるにはどうしたらいいんだろう?」と考えた頼長は、崇徳帝の寵臣である藤原為通とまずお近づきになろうと考えます。「お近づき」=「男色」になるところがすごいですが、この時代の「男同士のお近づき」は普通にそーゆーものだったようで、頼長が特に好色だったとかそういうわけではないと…うん…たぶん……。

頼長は23歳、頼長が「得たい」と思う為通は31歳。

「寵する」とはいかなることか。頼長は卒然と理解した。寵するとは、奪うことなのである。奪われて、それを嬉とすることが、寵されることなのである。 (P171)

為通を恋い慕っていたわけではない。頼長は、為通を奪いたかっただけなのである。 (P172)

頼長は、人を求めざるをえない人の心に隠された、公理の存在を知らなかった。人は、己れの心に欠けたものを求めるのである。欠落を欠落として知らぬまま、人は、己れの欠落を他者の上に見る。 (P177)

頼長は最初、為通にあっさり拒まれます。「いずれ摂関家を継ぐ」という自負ばかり強い頼長は人とのつきあい方が下手で、口説き方もまったくわかってなくて、「天下の内大臣に迫られて断る者などいるものか」ぐらいに思ってる。

が、何しろ為通は「内大臣よりずっと上」の崇徳院に寵されてるわけで、経験浅い内大臣ごときに簡単になびく必要はないわけです。

摂関家の長たらんとする男が、自らその腕と腰によって、引き据え仕留めなければ、御世の男達は従わなくなっていた。それを知る以前、頼長は自らの膝下に跪く男達を求めていた。男達を従える力を失いつつある摂関家の後嗣――その孤立を知らぬまま、二十三歳の内大臣は、自身に屈する男達を求めていた。 (P179)

頼長は為通をきっかけにして男色の扉を開くわけですが、頼長にとってそれは「支配欲」だったのですね。そして自らは気づかずにいる「孤立」「孤独」を埋めるための手段だったのでしょう。

「本来」を振りかざし、人の心の機微、思惑を理解しない頼長は世の中からずれて激しくKYで、まさに「坊やだからさ!」という人だったと思えます。

すでに世は「摂関家全盛」の時代ではなくなっている。婿や舅の関係も変わりつつある。

忠雅を婿にとって、家成にはその婿にかしずくつもりはなかった。家成にとって、「婿にする」とは、「己が一族の一員とする」なのである。家成の時から、婿取りは、その名の示す通りのものとなった。婿とは、舅に取られるものとなったのである。 (P203)

とはいえ、「生まれがすべて」というのはまだまだ変わらない。

王朝の世に、「功ある働き」などというものは、どれほどの意味をも持たない。「働く」などということ自体が、身分卑しき者のなすべきことだからである。 (P203)

功よりも寵、そして寵よりも家格――生まれがすべてを決定する。

で、一方の兄・忠通。彼こそ現在の「摂関家の長」。藤原本流の嫡子として生まれた、貴族の中ではもっとも「生まれの良い」人間。鳥羽院そして美福門院に実権が集まる中、摂関家の長であり近衛帝の摂政でありながらも彼は、「朝廷に君臨する」ということはできていなかったのだけれど。

いかに不遇であろうとも、その与えられた立場を持ち堪えてこそ、官という本来に力は宿る。官とは、夥しく積まれた先例の集積だからである。 (P218)

人の世は思惑の集積である。人の世を動かすものは、動かしうる力を持った思惑である。人の世の勝者となるために得るものは、ただ、人の世を動かすにたる思惑だけなのである。 (P221)

実際主義者の忠通は、本来など崇めない。それは、崇めるものではなく、武器として用いるものだからである。 (P224)

いやー、なんかこういうふうに言われると忠通かっこいいんだけど、つまりは腹黒いというか、「うまく立ち回る」っていうか…。忠通と比べるとホントに頼長はバカで、「本来」「正義」を振りかざして父の寵臣成雅を処罰、父まで怒らせてしまう。

「え、父ちゃん、俺より成雅を取るの!?」

誰よりも父に愛されていると信じて疑わなかった頼長にはさぞショックだったでしょうが、それよりショックを受けてしかるべきは、忠通についに待望の男子が生まれたこと。

忠通に跡継ぎがいなかったからこそ、「次男」で「取るに足りない女」から生まれた頼長が「摂関家を継ぐ」ことになっていたわけです。頼長の「力」はすべて、そこにかかっていた。だから兄に男子が生まれることは一大事だったんだけど、どうも頼長は「だからといって何?俺が継ぐってもう決まってるんだから」と思っていたらしい。

少なくとも橋本さんの筆はそうなっているし、以後も「正義」を振りかざして狼藉を働き「悪左府」と呼ばれることになるその振る舞いを見ると、危機感のありどころが間違ってるなぁ、と。

頼長28歳、忠実70歳、清盛30歳の時、祇園社で清盛の郎等が騒ぎを起こし、頼長は忠盛、清盛父子を罰そうとする(ああ、やっと忠盛パパの名前が出てきた!中井貴一かっこよろしなぁ)。

しかし院の北面の武士である彼らを罰することは鳥羽院の面目にも及ぶ話なのだ。

それは「本来」である。頼長の主張することは正しい。しかし、院政の世において、「正しさ」とは、人の世に行われぬものであった。 (P257)

まぁ、可哀想といえば可哀想だよね、頼長…。

神社仏閣へ逃げ込んだ罪人を捕らえるため境内を血で汚し…とかはちょっと同情できる。ただ、恩赦を得て許された罪人を「そんなのおかしいだろ」って人を使って殺させる、というとこまで行くとさすがに擁護できない。

「実は危うい立場にある」という心の奥の落ち着かなさが彼をそのような極端に走らせていたのだろうけどねぇ。

近衛帝が元服して、かつての内諾通り頼長の養女は無事入内。が、一月後、美福門院の養女も入内するとの噂が立つ。「え?」と思ううちにその娘は忠通の養女となる。「え、摂関家の長の娘として入内するってこと!?」

焦る頼長は「なにとぞその娘の入内の前に我が娘の立后を!」と騒ぎ立て、無事頼長の娘は「皇后」となった。

がしかし、である。

忠通の娘は「中宮」となるのである。

えーーーーーっ!?そんな馬鹿な、こっちは何年も前から娘を女御に、って約束してもらってたのにぃ!!!

と嘆いてもあとの祭り。

そんな可能性をまったく思わなかった頼長は「ただ愚かなのである」。一人の帝に后が二人なんて、今に始まったことじゃないのに。

頼長は、自身に敵対する者がいるということが信じられなかった。歪んだ世のありようを正すのが頼長であり、頼長に倒される者があったとしても、頼長の行先を阻んで敵対する者がありうるのだということが、信じられなかった。 (P282)

どんだけ坊やなんだかね、頼長…。

忠通の勝ちが明白になって、寵した男達も頼長のもとをあっさり離れていく。

頼長の寵を得た男達の内で、頼長と共に保元の乱へと進んだ男は、この源成雅ただ一人である。 (P285)

もともと自身の力を誇示したい、という征服欲・支配欲での寵だものなー。どれだけ肌を重ねても、「慕わしさ」や「情」といったものはついぞ得られなかったんだろう。

それでもまだ父ちゃんは頼長の味方で、頼長に摂政を譲る気のない長子忠通に怒り、力ずくで「氏の長者」の地位を頼長に授けてくれる。しかしそんなことをしても所詮「藤原氏の中でのこと」。美福門院と手を組んだ忠通の朝廷での立場は揺らがず、摂政を辞した忠通は改めて関白に任ぜられる。

どう考えても忠通&美福門院の方が役者が上なんだよね。

近衛帝は虚弱で、しかし東宮は定められぬままにある。崇徳院は自身の御子の立太子を望んでいたけれど、美福門院にその気はない。近衛帝の病を崇徳院の呪詛と吹き込まれた美福門院は、自身に「恨まれる筋」が十分あるのを知るゆえにそれを信じ、崇徳院への憎悪を募らせていく。崇徳院は何も悪くないのに……。

というところで次巻へ続きます。

あとこれはおまけですが、頼長は源義朝の弟、義賢を誘って男寵を拒まれたことがあるそうです。頼長ェ…。

そしてその義朝、大河ドラマでは自分から「東国で武を磨いてきます!」と都を後にしていましたが、橋本さんの筆によると。

都なる為義は、その嫡子義朝を、あえて都には置かなかった。平直方から贈られた鎌倉の地に留め、土着の勢力との融合を図った。軟弱なる都の気風とは遠く隔たった東国の地において、新たなる武家の棟梁となる義朝の、武勇の力を育てさせた。既に為義は、都なる王城の地の空洞化を察知していたのである。 (P262)

大河ドラマの小日向文世はとてもそんな先見の明があるふうには見えませんねぇ(^^;)

 

人の心とは、「戯れ」の同義語。肝要となるのは、人の世を人の世たらしめる、間柄(なからい)という名の配置なのである。 (P132)

『双調平家物語』第7巻/橋本治~その1・美福門院得子~

大河ドラマ『平清盛』で先日登場した藤原得子(なりこ)――後の美福門院――と、男色関係を赤裸々に綴った日記で有名な藤原頼長をメインとした巻です。

「目の上のたんこぶ」だった白河院が亡くなった後、鳥羽院は「あー、やっと俺の時代が来た!」とばかりに活動し始めます。白河院の怒りを買って宇治に蟄居していた先の関白藤原忠実を呼び戻し、その娘である勲子を自分のそばへ上げる。

そもそも11年前に忠実が白河院を怒らせた原因がこの「勲子の入内」。「俺に差し出せ」と言った時には断った娘を鳥羽院(当時はまだ鳥羽帝かな?)のもとへ差し出すなんて何考えてんだ、鳥羽院のもとには俺の可愛い璋子がいるというのに!

璋子は「白河院の養女」だけれども、実の父親の身分は低い。そこへ摂関家の由緒正しい娘が来たら、璋子の立場は危うくなる。摂関家のみならず、他の家の娘だって後宮に上げることは許さん、俺の璋子一人で何が不服だ! というわけで、本来なら「女御更衣あまたさぶらいたる」はずの後宮に、女はいない。祖父白河院の愛妾と知りながら、鳥羽院は彼女で満足するほかなかったのです。

実のところ鳥羽院と璋子の間には崇徳帝以外にも4人も皇子がいて、他にたぶん皇女もいる。なんだ、仲は良かったの?と思うけれど、鳥羽院にしてみれば、「あんな年寄り(白河院)に負けるものか!」というところだったのでしょう。まぁ、他に女はいないわけですし。

璋子と鳥羽院の皇子の一人が、のちの後白河天皇です。

で、そうやって鳥羽院を抑えつけていた白河院が死んで、忠実の娘勲子はついに鳥羽院のもとへ上がる。最初に求められてから早や11年、すでに37歳になっていた勲子。彼女の美しさがどうこうということでなく、子は産んでも白河院しか愛していなかった「中宮・待賢門院」へのあてつけだったのですね。何しろ勲子は后を出す家筋、「摂関家」の娘。一方、白河院という後ろ盾をなくした璋子(待賢門院)は「下級貴族の娘」に過ぎない。

しかし璋子の中身は「女王様」です。帝王白河院に「娘」として「愛人」として惜しみない愛情を注がれ育った彼女は、人の心など解さない。

しかし西行は、その高貴なる女性が和歌の才を欠くことを知らなかった。知るよしもなかった。待賢門院は、「人と心を通わせる必然」を理解する要のなかった女なのである。 (P38)

大河ドラマでは藤木直人氏が演じておりますね、西行。

待賢門院は、鳥羽院へ背を向け奉った。鳥羽院を「敵」と断じ奉って、待賢門院は、鳥羽院のお意(こころ)によって動く御世の政事(まつりごと)そのものを「敵」としたのである。人ではなく、世のありよう――政事のありようすべてを敵に回して、人たるものの勝ちようはない。 (P99)

気ままな「女王様」待賢門院璋子は鳥羽院に許してもらおう、尽くしてよりを戻そう、などとはまったく思わず、結果、次第に忘れられていきます。

院の御所に上がった忠実の娘勲子は泰子と名を改め、後に高陽院(かやのいん)となります。橋下さんの筆によると彼女は男嫌いだったそうで、アラフォーという年齢ともあいまって鳥羽院の方もその後はほったらかしだったとか。まぁ璋子へ嫌がらせができればそれでよかったわけなので。

璋子も高陽院もどーでもよくなった鳥羽院のご寵の向かう先は。

女という複雑によってご翻弄をお受けになられておいでだった鳥羽院のご寵は、男という明快へ移ったのである。 (P63)

ははは。

さすが男色の時代でございます。

その、ご寵の移った先というのが藤原家成。大河では佐藤二朗氏が演じておられます。え、あの人が三上博史と!?とつい想像してしまいますが(笑)、鳥羽院28歳、家成24歳の時だそうな。

女という複雑より男という明快を選んで数年、32歳となった鳥羽院の前に六条流藤原の娘、得子(なりこ)が現れます。得子は家成の従姉妹です。

その時得子はまだ17歳。鳥羽院にとっては初めての若い娘です。璋子が鳥羽院のもとに上がったのも17歳だったのですが、鳥羽院にとっては「一つ年上の女」で、しかも17歳ですでに「もう何年も白河院の愛人」なんですから、「初々しい乙女」などとは口が裂けても言えません。

なので、かどうかは知りませんが、鳥羽院は得子を深く愛すようになる。

璋子の息子である崇徳帝にとっては「なぜ母上というものがありながら」なのですが、しゃーないよねー、母上は「父上というものがありながら」白河院といちゃいちゃしてた女なんだからさー。

崇徳帝はなにもご承知ではない。しかし、実の父と実の母の君がお心を通わされるところを間近にご覧じられながらお育ちになられた帝など、崇徳帝の他にはただのお一方もおいでにはならないのである。 (P104)

この時代子どもは母方で育てられるので、璋子の「実家」=白河院の御所、ということになって、崇徳帝は実の父・白河院と母・璋子がそれはそれは仲むつまじくあるのを見て育ち、その二人からたっぷり愛されて育ったわけです。表向き白河院は崇徳帝の曾祖父で、曾祖父がひ孫を可愛がっても全然おかしくないし、璋子と白河院は「養父とその娘」で親子関係(こっちから見ると白河院は崇徳帝の祖父になる)、これまた仲が良くて不思議はない。

しかし。

崇徳帝が自身の出生の秘密について「何も知らない」なんてことがあり得るのかなぁ。千年経った私たちが「それを知っている」ということは当時有名で誰かが書き残したからでしょう??? 少なくとも崇徳帝の周り、璋子や白河院の周りに侍る人間達は知っていたはずで…。幼児の頃ならともかく、十代過ぎればうすうす感づいてしまうんじゃ。

知ったら知ったでまた別の苦しみも増えるのだろうけれどねぇ。「父」鳥羽院に愛されない苦しみ、愛されないのも道理の存在である苦しみ……。

鳥羽院の寵を得た得子はまず娘を産む。その娘は皇后勲子(泰子)の養女となって内親王宣下を受ける。(得子は身分が低いので、得子の子のままだと内親王として認めてもらえないらしい。天皇の子なら誰でも尊ばれるというわけではないのだ) 内親王の母にふさわしい処遇を、ということで得子は従三位に。

そして得子23歳、ついに男御子を出産。未だ子のない崇徳帝(21歳)の養子になった御子は東宮となり、その母得子は「女御」の地位を獲得。時に鳥羽院37歳、忠実62歳、忠実の次子である頼長は20歳。

鳥羽院が御世を御掌握になるためには、忠通の力を奪わなければならない。そのためには、御子を一時的にお授けになり、後になって忠実の子頼長をお用いになる。 (P120)

えーっと、崇徳帝の関白は藤原忠実の嫡子・忠通です。忠通と頼長は異腹の兄弟で、忠通に男子がなかったため、頼長は兄忠通の猶子となっています。

で、崇徳帝の后は忠通の娘、聖子なのです。だから、得子が産んだ御子が崇徳帝の養子になるということは、聖子の養子になることでもあって、その子が天皇になればその外戚として威をふるうのは聖子の父である忠通になる。

だからこの縁組みは忠通の利になると表面的には見えるのだけれど、その裏には鳥羽院の深謀遠慮が。

崇徳帝と聖子の間に子はなく、身分の低い女との間にやっとできた御子は得子の養子になる。なんでかっていうと「身分低い女」の子のままでは親王宣下も受けられないからなんだけど、これってよく考えたら別に聖子の養子でいいわけだよね。なぜ得子のもとに取られるのかといえばそれももちろん深謀遠慮で。

鳥羽院の意志により崇徳帝は位を逐われ、得子の産んだ近衛帝が即位。得子は皇后に。近衛帝は崇徳帝の「養子」になっていたけれど、、御譲位の詔には「皇太子に譲る」ではなく「皇太弟に」となっていた。つまり新帝の後見を務める「父」は崇徳帝ではなく鳥羽院ということ。僕の時代になるんだよね、と思って譲位をうべなった崇徳帝は謀られたと。

「謀ったな、シャア!」

…いえ、何でもありません…。

新帝が「皇太弟」であるということは、崇徳帝の后・聖子の父忠通も「外戚」ではありえない。聖子の養子、つまり崇徳帝の「皇太子」としてなら忠通はその「祖父」になるが、「皇太弟」なら何の関係も持てない。

これが、さっき出てきた“そのためには、御子を一時的にお授けになり、後になって”、ということなのですね。

鳥羽院は忠通を、というか、摂関家に力を持たせたくない。自身が「御世第一の権力者」であるためには、摂関家は邪魔でしかない。もちろん、得子の産んだ子を帝位につけ、得子を「皇后」にしたい、というのが一番の願いだったのだろうけど。

いかなるご寵を得ようとも、女の序列は、その父達の序列に準ずる。立后は、摂関家の娘にしか訪れなかった。立后の諍いとは、女達の諍いではなく、女の父達の諍いだった。 (P148)

それが鳥羽院の意志によって変わる。身分の低い女、しかも後ろ盾となる父を欠いた女・得子を「皇后」にした鳥羽院。

「仁慈の敵は、愛なのである」という6巻に出て来た言葉が染みいりますね。「愛」という私心が、世のありようを狂わせていく。「天皇」という最高の地位についても、「自分の愛する女」を好きに后にはできなかった、それ以前の仕組みが果たして「正しかった」のかどうかはわからないけれど、「愛する女」を后にのぼせたそのことが、様々な波紋を生み出していく……。

得子に負け、すっかり過去の人となっていた待賢門院は45歳で死去。鳥羽院と待賢門院の間の皇子で、崇徳院にとっては「弟」(実は異父弟)になる雅仁親王(19歳、後の後白河帝)は崇徳院のもとへ。

やがて得子は、鳥羽院の第四皇子であり崇徳院の弟宮である雅仁親王の男御子までも、その養いの御子とする。(中略)皇位継承の可能性を持つ御子達をすべて「我が子」となしえて、皇后得子の力はなによりも強大になった。 (P152)

父を欠いた哀れな下級貴族の娘だったはずが、あれよあれよという間に御世第一の力を手に入れてしまった。

皇后得子は、近衛帝のご元服を境に、美福門院の院号を得る。保元の乱とは、この美福門院と藤原頼長の戦いなのである。 (P153)

というところで長くなったので、頼長の話は次回へ。

2012年2月 1日 (水)

『双調平家物語』第6巻/橋本治~白河院の作られ方~

大河ドラマをきっかけに『双調平家物語』を読み返そうプロジェクト進行中。

第6巻は主に「白河院はなんであんな暴君になってしまったのか」というお話。

白河院の父親は後三条天皇。後三条天皇はその前の後冷泉天皇の異腹の弟。後冷泉天皇の母親はかの藤原道長の四女。つまり後冷泉天皇は道長の孫だったのだけれども、後三条天皇の母は藤原の娘ではなく内親王だった。この内親王も実は道長の孫だったりするんだけども、「摂関家」というのが「娘の腹に皇子を得て、その皇子を帝位につけ外戚として威をふるう」ものである以上、「内親王腹の皇子」というのは「うまみ」がない。

だもんで、即位以前の後三条天皇はもちろん、その息子である後の白河院は大変不遇だった。道長の息子である頼通教通兄弟は後冷泉天皇に競って娘を贈り、その娘が皇子を産み、次の天皇になることを熱望していた。後三条天皇は「東宮」だったけれども、摂関家にとっては「邪魔な存在」でしかなく、ために東宮の御子たる白河院は父が即位するまで「親王宣下」も受けられていなかった。

頼通教通の娘達は皇子を生まないまま、後冷泉天皇は崩御。

帝位についた後三条天皇や白河院が「それまで自分たちを冷遇してきた」摂関家を恨むのは当たり前、その「専横」を排そうとするのは当たり前の話。

乱世へと向かうその先の世に最も肝要となるものは、舅たる男の力を排し、ただ人を従えるばかりの「父」となることだった。それを抑える「舅」としての力を奪われて、その後の摂関家は、哀れにも凋落への道を辿るのである。 (P51)

東宮時代の後三条天皇に、摂関家嫡流の男達は娘を奉ろうとしなかった。白河院の母は同じ藤原でも傍流の男の養女である。御世の帝の後宮に娘を贈ることばかり考えて、「その先」へ手を打つことを忘れたあげく、摂関家は「舅」としての地位を失う。

頼通教通にも気の毒なところはあって、父道長が先手先手で四人の娘を次々と帝の后にしたために、頼通教通の娘の出番が来なかったのだ。しかも皇太后やら中宮やらになった頼通教通の実の姉妹達は「私がいるのになんであんたの娘なんか後宮に上げるのよ」とか、「私の娘(内親王)の立場はどうなるの」とか言って、頼通教通の行く手を阻む。

そうして後手に回ってるうちに、頼通教通は「舅」になり損なう。

何しろ道長の長女は66代一条帝の后、次女は67代三条帝の后、三女が68代後一条帝の后で、四女は69代後朱雀天皇の后。次の東宮、その次の東宮、と全部自分のものにしちゃっていたのだ、道長。

偉大で先が読めすぎたために、かえって息子達の「先」を潰してしまった道長。「欠けたることのなき望月」が欠ける芽は、実は自分が蒔いていたのね……。

で。

「親王宣下」を受けると同時に「東宮」にもなった白河院。

でもやっぱり彼は不遇のまま、彼に娘を贈る権力者もない中、父帝は若い女に手をつけ皇子を二人ももうけ、「おまえの次の天皇はこの二人の兄の方、そしてその東宮には弟の方を」と白河院に言い含める。

「必ず弟二人を天皇に、必ず」と言って父帝は亡くなってしまい、「わかりました」と言ったものの、よく考えるとその「遺言」は、「おまえはただの繋ぎだからな」と言っている。後三条天皇が亡くなった時、まだ弟達は2歳と0歳とか、そんなもんなのである。そして白河院は20歳くらいの青年。

これからいくらでも白河院にも皇子ができるはず。でも「東宮はおまえの子じゃなくて俺の子。その次もやっぱり俺の子」。

え? それって、おまえはさっさと譲位して弟に御位を譲れってこと? おまえは子を作るな、自分の子を東宮にしようなどと思うなってこと?

……死の間際、単に後三条天皇は生まれたばかりの幼い子ども達の行く末が心配だったのであろうけれども、不遇の時を経てやっと帝位についたと思ったら実の父に「おまえはさっさと譲位しろ」に等しいことを言われてしまったわけで。

白河院が狂っていくのもむべなるかな。

でももしかして最愛の女、賢子が早世しなかったら、白河院の暴虐もあそこまでにはならなかったのかもしれない。

賢子は藤原頼通の息子師実の養女。摂関家嫡流の女がやっと白河院のそばに上がる。一度失われた摂関家の勢威はもう戻らないけれど、自身にふさわしい若さと美しさを兼ね備えた賢子を、白河院は深く愛す。

愛して、そして自身も「父」になって、愛する女の生んだ皇子を後継ぎに、と思う。父、後三条帝の遺詔に反して。

人を愛するのは、人の常である。人を愛して、人は、愛せぬ者が生まれることに気づかない。ただ「愛しい」と思う者のかたわらには、「さほど愛しいとも思われぬ者」が必ず生まれる。光がさせば影が生まれる。さす光が強くなればなるほど、そのかたわらの影は強く濃くなる。愛されぬ者の影を濃くして、人の愛なる執着はいやまさる。仁慈の敵は、愛なのである。 (P95)

「仁慈の敵は、愛なのである」という一文に唸ってしまうのだけど、みんなに思いやり深くあろうとすれば、個別の深い愛は捨てなければならないのだよね。つまりは「私心」というものを。

その第一は、天子が「私(わたくし)」をお持ちになられたゆえである。 (P124)

何の「第一」かっていうと、「御世の変貌」=乱れ、なのだけれど。

白河院が「私心」「私欲」を持った時、それを諫められる者がもう御世にはいなかった。

でも、それが世の乱れのもとなら、天子は従来通り摂関家に抑えつけられていた方が良かったのか? 「舅」たる者に「私」を取り上げられて、ただ次の帝を生むだけの存在でいれば?

私欲なくただ国のこと民のことを思う、もちろんそれが理想だけれども、そんなことが神ならぬ人の身に可能なのだろうか。

天子であろうとも、誤った時には諫める者が要る。摂関家の力が弱まり、そのような者がいなくなった。しかしそれ以前、摂関家は「私欲」のためにしか天子を諫めなかったのではないのか? どちらに傾いても、「専横」は生まれる。ただその座にある者の「徳」を期待するしかないのか――。

そもそも摂関家は、「お主上にご意志はない」ということを前提とする勢力なのである。 (P134)

御世の帝のなさるべきこととは、摂関家の娘を寵され、その腹に皇子を宿され、その皇子に御位を譲られることである――摂関家の長達は、長い間このことを信じ、この理(ことわり)に従って御世を動かして来た。皇子を得られ、三十(みそ)を過ぎられた帝が御位にあられるなどとは、そのこと自体が異例なのである。 (P150)

そんなことわりが正しいわけもない。その歪みを正そうとして、けれどその専横しか「手本」がなければ、「天子が力を得る」=「天子が摂関家のごとく朝廷をわたくしする」にしかならなくても仕方がないのではないのか。白河院の横暴は、勢威をなくした摂関家自らが利のために白河院に我欲を吹き込んだせいでもあるのだから。

悪いのは、一体誰だろう?

愛する中宮賢子を亡くして、白河院は嘆き悲しむ。中宮の忘れ形見の内親王に妻の面影を見て、実の娘ゆえに交わることができず、手当たり次第に女に手を付ける。けれど愛する中宮以外の女が生む「子」には何の関心も持てず、お手つきの女ともども臣下にくだされる。平忠盛もまた、そのようにしてご落胤を押しつけられた「臣下」だった。

もしも賢子が健在で、その後も白河院の皇子を生み、そばで見守っていたなら、少なくとも「清盛」は生まれなかったのかもしれない。忠盛に預けられることもなく、歴史は変わっていたのか……。

源義家憎しの心で用いた源惟清。その妻が若く美しいと聞いて白河院は早速寝取る。それが大河ドラマで松田聖子が演じている祇園女御。院の御所に昇殿を許された喜びもつかの間、惟清は弟達ともども流罪になる。その妻を手元に置こうとする白河院の気ままによって。……ほんまになぁ、白河院。

『双調平家物語』では祇園女御の異腹の妹(親を亡くして女御のもとに引き取られていたらしい)を清盛の実母としている。

そして子のない祇園女御の養女となったのが壇れいちゃん演じる藤原璋子、後の待賢門院。

幼い頃から白河院と一つ寝をして育った璋子。小学生の年齢で白河院の「愛妾」だった彼女は14歳で二人の男と密通し、17歳で鳥羽帝の後宮に上がる。御世第一の権力者に愛されて育った気ままな「女王様」の彼女はしかし、ほとんど常に白河院のもとにいた。鳥羽帝のそばにいるのは月の触りの時ばかり。それで彼女が妊娠したなら、その御種が誰のものであるかは一目瞭然。もちろん鳥羽帝も最初から知っていた。

璋子が崇徳帝を生んだのは19歳、白河院はその時67歳。鳥羽帝は17歳だった。

「鳥羽院失せさせ給いて後、日本国の乱逆ということは起こりて後は武者の世」と、天台の大僧正慈円の言うその始まりは、お手つけられた養女を、白河の上皇が鳥羽の帝の後宮へ上げられたこと。子を生まぬ三河守の妻を奪われ、夫たる源惟清の一族を流されたこと。源義家の衆望を悪(にく)まれ、同じ清和源氏の惟清を、院の御所へとお召しになられたこと――これこそが、後の世の綻びの種である。 (P235)

自分の愛妾を帝の後宮に送ってしかも自分の子を産ませる、なんてことはさすがの摂関家もしなかった。自らが「天皇」であったがゆえにできた狼藉だよなぁ。

本当に気の毒な鳥羽帝。白河院の睨みが効いてるから、他の女を後宮に上げることもできやしない。17歳で祖父の子(つまり叔父)を「自分の子」とさせられるなんて。

それはまた「当の生まれた子」である崇徳帝にも暗い影となってのしかかっていくわけで。

嗚呼、白河院。

鳥羽帝は21歳の若さで位を下ろされる。自身の子ではない崇徳帝にその座を譲るために。もちろんそれは「自身の子を御位に」と思う白河院の意志。崇徳帝はその時わずか5歳。(ちなみに鳥羽帝は5歳で御位についてる。鳥羽帝の父堀河帝は8歳で即位)

崇徳帝11歳の時、白河院は77歳で崩御。鳥羽院は28歳。ついに「目の上のたんこぶ」がなくなった鳥羽院。逆襲が始まって当然だよなー

白河院の不興を買って宇治に隠居していた前の関白藤原忠実を呼び寄せる鳥羽院。一方、忠実の嫡男忠通は自身の娘を崇徳帝の中宮にしていて、「次の帝の外戚となる」という摂関家の本分を取り戻そうと布石を打っている。

崇徳帝(朝廷)につく忠通と、鳥羽院(院の御所)につく忠実。二組の親子による「乱」はもうすぐそこ……。(って書いたけど、7巻読み進めたら「乱」の様相はそういうものではないような。あれれ)

 

ということで、6巻は終わるのですが、忠実の嫡子忠通を産んだのは、白河院最愛の中宮だった賢子の異母妹・師子なのですね。賢子の妹ならさぞかし…ということで彼女も白河院の毒牙にかかり、その御子を産んでいたのだけれど、御子ともどもうち捨てられていた。

その師子を、忠実は妻にする。白河院の御子を引き取ったわけではなさそうだけれど、白河院のお手つきの女を自分のものにした、という意味では忠実も忠盛と同じだったのですね。

しかし、驕ったのは平氏ばかりではない。藤氏とてまた驕った。驕る以外になすべきようのない権勢の座に着いて、平氏の一族はその先例に従い、なすべきことをした。武者の世を招いた者は、その権勢の座にあって、権勢を守る以外のことをなしえなかった者達である。 (P290)

藤の一族に、平氏の驕りを責めるほどの資格はない。他氏の栄華を羨むばかりの都の男達に、武者の世の到来を嘆く資格はない。 (P292)

摂関家の専横、白河院の横暴、貴族達の無為無策……こんな魑魅魍魎が跋扈する世界で、平清盛がどれほどの「逆臣」であったのか。ねぇ。

国語科的心理テスト

昨日、中学生の息子ちゃんが「国語の時間に面白いことした」と言ってプリントを見せてくれました。

その名も「国語科的心理テスト」

なかなか楽しめるのでご紹介します。


【その1:接続詞の気持ち】

次の接続詞に続けて文章を完成させてください。それぞれ、独立した文章にしてください。

①しかし、
②やがて、
③ただ、
④だって、
⑤そして、

【その2:雨あがりの舗道】

次の言葉のあとに言葉を埋めてください。

①水たまりは、
②あの子って、
③今日の私は、
④すこしは、


はい、皆さんも文章作れましたか? ぜひ作ってみてくださいね。


ちなみに息子ちゃんの作った文章。

【その1】

①しかし、成功を収めるのは容易ではない。

②やがて、日が暮れ、あの日は終わりを告げた。

③ただ、後には街の雑音が残るのみ。

④だって、時間がなかったんだ! それは言い訳にすぎない。

⑤そして、また、次の朝が始まる。

【その2】

①水たまりは、人の心を写すように、ただ澄み切っている。

②あの子って、バカじゃないの? そう言われている気がした。

③今日の私は、いつもより時間がある。

④すこしは、勉強もしよう。そう思った。

さすが、伊達に本は読んでいません(笑)。「それ、詩じゃねぇか!」とお友達に突っ込まれたそうです。いや、でも、「続き書け」って言われたらこうなっちゃうよね。


というわけで、私が作ったのはというと。

【その1】

①しかし、戦いはまだ終わらない。

②やがて、夜は明けるだろう。

③ただ、この世に生きた証を残したいだけだ。

④だって、女の子だもん。

⑤そして、戦いは続く。

【その2】

①水たまりは、青い空を映している。

②あの子って、オタクだよね。

③今日の私は、一段と美しい。

④すこしは、世の中のためになりたいものだ。

と、こんな感じ。息子ちゃんの回答を先に読んでいたせいもあるし、「どういう意味付けの質問か」を予想できるものもあったので、ちょっと構えて書いちゃった部分もあります。「文章を書け」と言われるとつい格好良く書こうと思ってしまうのはもう習い性です(笑)。


【解説】

けっこう詳しい解説プリントを持って帰ってきたのですが、めんどくさいのでそれぞれの設問が何を表すか、要点だけ。

【その1】

①しかし=今までの人生は

②やがて=恋人との行方は

③ただ=一人の時は

④だって=あなたの嫌なところは

⑤そして=あなたの老後は

ということだそうです。

つまり私の今までの人生は戦い、老後も戦い、戦士乙!なわけですね(笑)。

息子ちゃんの「恋人との行方」は「終わりを告げた」ですし(爆)。

総じて息子ちゃんの【その1】は老練というか、淡々と大人ですね。私の方が「喧嘩上等!」、「だって」と「ただ」も自分でうなずけるところがありすぎて笑えます。まぁ今は女で良かったな、と思ってるんですけど。

【その2】

①水たまりは=私の本当の姿は

②あの子って=好きな人の前では

③今日の私は=ウソをついている時の私は

④すこしは=今年の目標は

となっています。

はい、息子ちゃんの今年の目標、「勉強する」ですね(笑)。本人、めっちゃ後悔してました(爆)。

しかし二人とも水たまりが澄んでて何より。私、とっさに「アメンボ」連想したんだけど、書かなくてよかった(笑)。

ウソをついている時の私は一段と美しいんですって。おほほほほ。

皆さんの結果はいかがでしたか!?

注)息子ちゃんには回答掲載の許可をちゃんともらっています。そもそもこういうプリントを楽しそうに見せてくれること自体、中学生男子には稀なのではないかと思うんですが、母のネット依存にも理解があってありがたいです、はい。

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  • 橋本 治: 双調平家物語 (9)

    橋本 治: 双調平家物語 (9)
    死してなお無惨な頼長。そして「真の勝者」となったはずの信西もまた、その勝利を長くは手にしていられない。「学問」を結局は重要視しない世の中、決して平安貴族の話だけではないような気がする。

  • 北条 司: エンジェル・ハート2ndシーズン 3

    北条 司: エンジェル・ハート2ndシーズン 3
    いつもながら鼻の奥がツンとなるお話。「家族」にこだわったストーリー、いいなぁ。本当に大人のための素敵なマンガ(エロい意味じゃないよ!) ケータイで久々に香の声も聞けた。しかしカメ子の真意は本当にあれだけだったの?

  • モーリス=ルブラン: 奇岩城 (アルセーヌ・ルパン全集 (4))

    モーリス=ルブラン: 奇岩城 (アルセーヌ・ルパン全集 (4))
    集英社文庫でも読みましたが、全集版でもう一度。やっぱりこちらの方が読みやすい訳のような。でも何ですね、これ、最後がちょっと悲劇すぎますよね。ルパン物の代表作ですけど、全集全部読み終わってみるとあまり好きな作品ではないです。

  • はすまる: すもうねこ もふり寄り

    はすまる: すもうねこ もふり寄り
    ねこの関取「すもうねこ」、堂々書籍化第2弾♪ 昨年春場所が中止になったことや技量審査場所など、相撲界のリアルな今を織り込みつつ、ほっこり和ませてくれます。相撲なんて興味ない、って人にこそ読んでいただきたいです。

  • 蛇蔵: 日本人の知らない日本語3  祝!卒業編

    蛇蔵: 日本人の知らない日本語3  祝!卒業編
    3冊目ともなればマンネリで飽きちゃうか、と思いきやこれがやっぱり面白い。お馴染みの学生さん達が卒業してしまうの寂しいわぁ。「言葉」だけではなくそれぞれの「文化」の違いが面白いです。